大相撲

栃ノ心あの日、あのとき

2014年12月12日

逸ノ城あるいは遠藤のざんばら髪は見たことがある方は
多いと思う。では栃ノ心はどうだろう。髷は個人差は
あるもののだいたい1年たてば小さいながらも髷が結える
ものである。つまり、ざんばら髪が見れるのはデビュー
して1年以内のことである。ここにデビュー4場所目
三段目時代(といっても1場所しか在位していないが)の
栃ノ心の写真がある。
0611月八日目三段目 02
<三段目時代の栃ノ心>
 
栃ノ心は柔道とサンボを下地として相撲界入りした。
序ノ口からわずか10場所を経て11場所目で十両入りして
いる。いわばスピード出世で関取になったわけである。
成績は54勝15敗1休、○38(休場を負け扱い)。2008(平
成20)年一月場所に新十両で12勝3敗で優勝した。
同じグルジアの先輩黒海は14場所を要して十両入りした。
後輩の臥牙丸は23場所を要している。
060715幕下以下 16序二段○栃ノ心対藤東
<序二段時代 相手は藤東>
 
栃ノ心は黒海、臥牙丸両力士と決定的に違う点がある。
それは両力士は負け越しがあるが、栃ノ心はすべて勝ち
越して十両昇進を達成している。つまり、栃ノ心には
幕下以下で壁はなかったことになる。その反面栃ノ心は
幕内を31場所(中止になった場所を含まず)勤め、ケガで
幕下まで落ちた。そこから4場所連続優勝して幕内に
復帰して敢闘賞を受賞した。
080126十四日目幕下以下 27
<2008年一月場所新十両>
 
グルジアはロシア語読みで今度から英語読みでジョージア
と呼ぶことになる。土俵入りで臥牙丸、栃ノ心のとき場内
アナウンスはなんと表現するか聞き耳を立てたい。

 

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denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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