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昭和・平成の横綱ベスト10 5

4位貴乃花
★相撲道を貫いた相撲ブームの貢献者
4位は貴乃花である。入門から貴ノ花の息子として注目
され、兄とともに若貴ブームで相撲人気に火をつけた。
曙、武蔵丸と周りに強い重量級横綱がいる中で奮闘した。
1992(平成4)年一月場所、19歳で史上最年少優勝するも
まだ地力は十分ついておらず、大関昇進は1年後になる。
大関で全勝優勝しても横綱になれず、翌場所全勝優勝して
ようやく昇進した。
貴乃花
<貴乃花>
 
最後の優勝となった2001(平成13)年五月場所は14日目
武双山戦で負傷。千秋楽は本割で武蔵丸に敗れ、優勝は
決定戦へもちこまれた。負傷貴乃花に勝ち目は薄いと
思われたが、鬼の形相で優勝した場面は語り草になって
いる。藤島部屋の方針は真剣勝負。「八百長といわれる
ような相撲を取ったことは一度もありません」と週刊新潮
との裁判で発言した。22回の優勝はすべて真剣で力士から
尊敬されている。最後まで相撲道を貫いた横綱であった。
5位玉錦
★不屈の闘志と稽古熱心で八百長は絶対やらない
無類の稽古熱心と八百長嫌いを高く評価して5位は玉錦
である。ケンカ玉と呼ばれるほどの烈しい気性の一面を
もつ一方、ボロ錦といわれるほどの稽古で鍛えぬいた。
右を差しての出足鋭い寄り相撲。大関で3連覇しても横綱に
なれず、「絶対横綱になってやる」と闘志をかきたてた。
横綱玉錦!
<玉錦のブロマイド>
 
玉錦をめぐるエピソードで欠かせないのが1928(昭和8)
年の一月場所。千秋楽をむかえ前頭13枚目の三杉磯は
全勝。大関常陸岩は1敗。当時は優勝決定戦制度がなく、
同成績の場合、番付上位が優勝だった。平幕の三杉磯は
千秋楽に小結玉錦と当てられた。前日から玉錦のもとには
八百長の申し入れがあったようだが、断った。
玉錦は千秋楽の一番は負けては八百長と思われるので
必死でうっちゃった。常陸岩が宮城山を倒し、常陸岩の
優勝が決まった。玉錦は常陸岩の後援筋から宴会に誘われ
たが「人のために相撲は取らない」と断ったという。
後年は誰も八百長を頼みにいかなかったという。こうした
玉錦の姿勢は数字を超越した価値がある。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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