大相撲

昭和・平成の横綱ベスト10 5

2014年11月18日

4位貴乃花
★相撲道を貫いた相撲ブームの貢献者
4位は貴乃花である。入門から貴ノ花の息子として注目
され、兄とともに若貴ブームで相撲人気に火をつけた。
曙、武蔵丸と周りに強い重量級横綱がいる中で奮闘した。

1992(平成4)年一月場所、19歳で史上最年少優勝するも
まだ地力は十分ついておらず、大関昇進は1年後になる。
大関で全勝優勝しても横綱になれず、翌場所全勝優勝して
ようやく昇進した。
貴乃花
<貴乃花>
 
最後の優勝となった2001(平成13)年五月場所は14日目
武双山戦で負傷。千秋楽は本割で武蔵丸に敗れ、優勝は
決定戦へもちこまれた。負傷貴乃花に勝ち目は薄いと
思われたが、鬼の形相で優勝した場面は語り草になって
いる。藤島部屋の方針は真剣勝負。「八百長といわれる
ような相撲を取ったことは一度もありません」と週刊新潮
との裁判で発言した。22回の優勝はすべて真剣で力士から
尊敬されている。最後まで相撲道を貫いた横綱であった。

5位玉錦
★不屈の闘志と稽古熱心で八百長は絶対やらない
無類の稽古熱心と八百長嫌いを高く評価して5位は玉錦
である。ケンカ玉と呼ばれるほどの烈しい気性の一面を
もつ一方、ボロ錦といわれるほどの稽古で鍛えぬいた。
右を差しての出足鋭い寄り相撲。大関で3連覇しても横綱に
なれず、「絶対横綱になってやる」と闘志をかきたてた。
横綱玉錦!
<玉錦のブロマイド>
 
玉錦をめぐるエピソードで欠かせないのが1928(昭和8)
年の一月場所。千秋楽をむかえ前頭13枚目の三杉磯は
全勝。大関常陸岩は1敗。当時は優勝決定戦制度がなく、
同成績の場合、番付上位が優勝だった。平幕の三杉磯は
千秋楽に小結玉錦と当てられた。前日から玉錦のもとには
八百長の申し入れがあったようだが、断った。

玉錦は千秋楽の一番は負けては八百長と思われるので
必死でうっちゃった。常陸岩が宮城山を倒し、常陸岩の
優勝が決まった。玉錦は常陸岩の後援筋から宴会に誘われ
たが「人のために相撲は取らない」と断ったという。
後年は誰も八百長を頼みにいかなかったという。こうした
玉錦の姿勢は数字を超越した価値がある。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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