大相撲

大関考 昭和・平成の大関の成績を検証1

2013年12月28日

昭和・平成の大関はどの程度の実績を残している
のか。まず、大関時代の成績を出してみた。対象は
大ノ里から鶴竜まで46人。取組編成、制度などが
違うので【対戦形式】を柱として《制度》をはさみ
大関を分類し、主な力士の成績を掲載した。

【東西制第1期】
両国国技館開設1909(明治42)年六月場所~
1931年(昭和6)年
●大ノ里、常陸岩、豊国
◆豊国 大関在位13場所 皆勤11場所 
優勝争い4回 優勝2回 81勝44敗18休
勝率6割4部8厘 11日制1場所7.128勝 
負け越し4回 備考 昇進時は小野川

【東西制第1期・系統別総当たり第1期】
両国国技館開設1909(明治42)年六月場所~
1931年(昭和6)年
1932(昭和7)年~1939(昭和14年)系統別
●能代潟、

【系統別総当たり制第1期】
1932(昭和7)年~1939(昭和14年)系統別
●清水川、鏡岩
◆清水川 大関在位12場所 皆勤12場所
優勝争い4回 優勝2回 87勝47敗
勝率6割4分9厘 11日制1場所7.139勝 
負け越し3回 備考 11日制 最後の場所のみ13日制

【東西制弟2期】
1930(昭和15)年~1947(昭和22)年六月場所
●五ツ島

【東西制第2期~系統別総当たり第2期】
1930(昭和15)年~1947(昭和22)年六月場所
1947(昭和122)年十一月場所~1964(昭和39)年
●名寄岩、佐賀ノ花、汐ノ海

東西合併、春秋園事件、戦後の混乱期の中、大関は
10人。勝率は清水川がトップである。東西制で割り
引かれるが、豊国がこれに続いている。逆に五ツ島は
在位2場所、連続負け越しで関脇に陥落している。
鏡岩・名寄岩・汐ノ海も大関勝率は5割以下である。

何をもって優勝争いというか。千秋楽を前に優勝圏内か。
あるいは14日目か13日目か。ここでは便宜的に終盤まで
ということで3敗以内の成績とする。
優勝争いも大関合格は清水川、東西制でやはり割り
引かれるが豊国である。ちなみに豊国が対戦したのは
横綱常ノ花、大関大ノ里、大関常陸岩、三役玉錦が
主な力士である。対戦しなかったのは横綱宮城山、
同じ井筒部屋の横綱西ノ海、大関能代潟などである。
<写真は豊国の小野川時代の絵葉書>
(この項目続く)
小野川』 大分

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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