大相撲

大関考 大関とは何か

2013年12月26日

豪栄道が十一月場所で大関の足がかりを築くかと
期待されたが8勝に終わった。琴奨菊が大関昇進した
ころから3場所33勝大関昇進が目安のように一人歩き
した。そのため3場所32勝で大関昇進した稀勢の里を
甘い昇進と非難した方がいた。歴史をみれば3場所
28勝で昇進した力士が複数いる。

ところで、大関とは何か。この問いに対する答を
聞いたことがある方はどれほどいるだろうか。大関は
昇進したら8勝、9勝の成績に終始するイメージが
強い。横綱に昇進した日馬富士の初期の大関時代
だって例外ではない。

ちなみに日馬富士の大関時代の成績は以下である。
在位22場所 214勝105敗11休 勝率6割7分1厘 
1場所平均10勝 優勝4回 優勝争い4回 負け越し1回

それでは改めて大関とは何か。「3場所に1回は
優勝争いをし、ときには横綱以上の存在価値を示す」
これが大関である。だから3場所33勝大関昇進は
この大関像を満たすものではないことは言うまでも
ない。
明治19年12月2大関

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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