★横綱3代明石・綾川・丸山は横綱ではなかった
現在歴代横綱と称して一覧になっているものは幕末
の陣幕が作成したものであった。陣幕は相撲史に通
じていたわけでなく、人の知恵を借りたようである。
これを鵜呑みにしているのが現在に伝わっている。
地鎮祭の際の地踏み(四股と同じ動作)が横綱の始
まりのきっかけであった。これを発展させたのが、
相撲の家元吉田司家であった。この儀式を土俵で行
い、上覧相撲の演目にするアイデァ打ち出したので
ある。
一人で行う土俵入りにしめなわを腰にしめて行った。
このしめなわを横綱と称した。吉田司家が幕府に願
い出ていた免許を与えられたのが谷風と小野川であ
る。最初に1人土俵入りを行ったのが、1789年11月
寛政元年冬場所7日目から披露した。これが評判で、
横綱の土俵入りの始まりとなった。谷風も小野川も
当時の地位は関脇である。
したがって横綱は地位でも、強豪大関に与えられる
称号でもないことがわかる。横綱は現在とはまった
く意味が違うし、谷風が本当の祖である。横綱が実
質地位化したのは明治の常陸山からである。
★年寄名 個人の変遷
記憶に頼るより記憶に頼れ。それが個人の年寄のう
つりかわりである。
若獅子は以下である。
鳴戸→峰崎→荒汐→小野川→千賀ノ浦→湊川→花籠
→竹縄→芝田山→藤島→佐ノ山
平成8年7月協会を離職
琴錦は以下である。
準年寄琴錦→若松→竹縄→浅香山→荒磯→秀ノ山→
中村→朝日山
琴錦は佐渡ヶ嶽(元琴櫻)部屋出身で尾車(元琴風)
屋部に移籍していた。元大受から朝日山を譲るにあ
たり、伊勢ヶ濱一門の理事候補に投票するよう言わ
れたのか、現在は伊勢ヶ濱一門に身をおいている。
★決まり手で出てない技
それは撞木反りである。肩にかつぎあげて後ろに反
る技。肩に対戦相手をかつぐこと事態が大変なこと。
特に重量級大相撲ではありえないかもしれない。
★蔵前国技館に冷暖房設備が入ったのは
蔵前国技館は昭和29年に完成し、秋場所から完成国
技館が使用された。蔵前国技館は夏は暖房、冬は冷
房と長い間言われてきた。元双葉山の時津風理事長
は熱戦であったまってくれと語っていた。冷暖房設
備は昭和45年内に完成した。