横綱の土俵入りにまつわる歴史的過ち

新横綱照ノ富士の土俵入りの型が決まった。
師匠(元旭富士)譲りでせりあがるとき両手
を広げる型である。通常ならば場所後の木曜
に綱打ち、金曜に明治神宮で披露となる運び
である。だが、今は新型コロナウイルスの
ため巡業はなく、人が集まる行事を控えて
いる。照ノ富士の初土俵入りはどういう形で
披露されるのだろうか。

稀勢の里
<稀勢の里>

ところで横綱の土俵入りの型において右手を
のばし、左手を曲げてせりあがる型を雲竜型、
両手を広げてせりあがる型を不知火型と一般
的にいっている。稀勢の里は雲竜型で白鵬は
不知火型である。だが、これは誰がいつどう
いう理由で言い出したものかご存知だろうか。

白鵬
<白鵬>

歴史的にはそれほど古くない。昭和16年、
相撲評論家の彦山光三氏が羽黒山の土俵入り
を不知火型と決め付けてしまった。その根拠
は不知火諾右衛門に両手を広げている錦絵が
あることであった。そしてほかの型を雲竜型
としてしまった。しかし、不知火諾右衛門は
せりあがったまま両手を開いているとは言い
切れない。大砲は左手を曲げてせりあがって
から両手を広げている。常陸山は2度拍手を
打って両手を広げている。

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雲竜と不知火が実はどんな土俵入りをしたか
は、そもそもわかっていないのである。それ
を彦山氏が決め付け、一人歩きしてしまった
ことが大きな誤りの始まりとなった。なお、
伸ばした手は攻めを曲げた手は守りを表して
いる、と言ったのは元笠置山の秀の山である。
とっさにでた創作であった。

朝日新聞の記事 写真の左不知火光右衛門 右鬼面山
<朝日新聞の記事 写真の左不知火
光右衛門 右鬼面山>

雲竜型・不知火型の呼称は根本的に誤りで
あることがわかる。今の土俵入りの型右手を
のばし左手を曲げてせりあがる型は2代目
梅ヶ谷からである。また両手をのばしてせり
あがる型は太刀山からである。したがって
梅ヶ谷型・太刀山型と呼ぶほうが筋は通って
いるし、土俵の目撃者はこの見解を取って
いる。雲竜型・不知火型は歴史的過ちのなか
ででたモノである。

九月場所へ始動。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

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この記事を書いた人

相撲専属フリーライター・写真家。ペンネーム電光力。日本経済新聞社の記者を15年務め、日経HRの編集者を経て独立。2014年から大相撲ブログ「土俵の目撃者」を運営し、毎場所ほぼ全ての本場所を取材、土俵際から自ら撮影。撮影したリングサイド写真は9万枚を超える。にほんブログ村「相撲・大相撲」カテゴリ ランキング1位。

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