■魁傑
・優勝した前場所負け越し22・24例目
魁傑の優勝は2回あるが、ともに前場所負け
越している。最初の優勝は昭和49年十一月
場所、小結魁傑は横綱北の湖と優勝決定戦で
激突。突っ張りで圧倒して初優勝している。
翌場所11勝して大関に昇進している。7勝-
12勝優勝-11勝の大関昇進は今なら異議が
唱えられるかもしれない。大関大麒麟が引退
して大関は貴ノ花一人であったという事情が
あった。魁傑は5場所で大関の座を失って
いる。大関降格5場所後平幕上位で2回目の
優勝を達成した。前場所は5勝10敗だった。
この後11勝-11勝をあげ再び大関昇進を果た
した。
■金剛
・優勝した翌場所負け越し34例目
昭和50年七月場所、上位の休場、総崩れで
前頭筆頭の金剛が抜け出して初優勝した。
当時元佐賀ノ花の二所ノ関が3月28日に57歳
の若さで亡くなられた。後継をめぐって元
大麒麟の押尾川と未亡人の話し合いはいっ
こうにつかなかった。そこで金剛が優勝した
ことでガラリと展開が変わった。なお、金剛
は翌場所6勝9敗で負け越している。
未亡人は次女と金剛を婚約させて金剛に部屋
を託すことにした。その結果押尾川が青葉城、
天竜ら16力士を連れて谷中の寺に立てこもる
押尾川の乱を引き起こすことになった。結局
青葉城ら6人が押尾川部屋に移籍することで
決着した。次女は金剛と一緒にならず、金剛
は未亡人の養子となった。天竜はプロレスに
転向し、金剛と袂を分かっている。金剛は
部屋を継いだものの、自分の代で名門二所ノ
関部を屋閉鎖する立場になった。
■貴ノ花
・優勝した前場所負け越し23例目
貴ノ花は大関に昇進したものの、苦悩して
いた。大関になったとたん1ケタ勝利しか
あげられなくなっていた。その間輪島は横綱
に昇進していた。人気は貴ノ花のほうがあっ
たが、優勝は遠かった。そこへ怪童北の湖が
登場して貴ノ花の存在感は薄れていった。
そんななか、貴ノ花は大関15場所目でよう
やくチャンスをつかんだ。昭和50年三月場所、
初優勝したときは日本中がわいた。同年七月
場所の0勝4敗11休のあとの九月場所、横綱
北の湖を優勝決定戦で倒し、2回目の優勝を
達成した。そしてこれが最後の優勝となった。
■三重ノ海
・優勝した翌場所負け越し35例目
三重ノ海の横綱は予想しにくかった。ある
時期からいつもの三重ノ海でない様相を見せ
始めてはいた。三重ノ海が横綱に昇進した
とき、すでに輪島、北の湖、若乃花が横綱で
あった。三重ノ海は彼らのなかで果たして
横綱としてやっていけるのか。三重ノ海が
横綱になったときすでに31歳だったことも
不安要因だった。だが、三重ノ海は最後の
土俵人生を飾った。横綱2場所目3場所目で
連続優勝した。それも全勝優勝まで達成して
いる。力尽きたのか、翌場所は途中休場して
いる。最後の優勝から5場所後に引退して
いる。
■北の湖
・優勝した前場所負け越し26例目
北の湖は24回優勝しているが、負け越しに
絡んだ優勝は23回目の優勝のときだけである。
北の湖は横綱連続フル出場43場所の記録の
持ち主である。白鵬に抜かれるまで最高記録
であった。横綱44場所目で途中休場したわけ
である。その翌場所が23回目の優勝だった。
しかし、23回目の優勝以降、北の湖の力は
衰えていった。この後24回目の優勝まで2年
1場所かかっている。この間途中休場4場所、
全休4場所、計8場所休場している。最後は
新国技館の土俵に上がるために延命した。
だが、新国技館で初日、2日目連敗すると
引退した。
お中元を贈りました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。