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新大関3場所の通信簿4

<2017年1月 幕下優勝した石橋(朝乃山)>

時代は昭和から平成へ移ろうとしていた。
大関の代では霧島が平成誕生の大関であり、
横綱では旭富士が平成誕生の横綱である。

琴風のモットーは「与えられた立場で最大限
の努力をする」である。地位に対する責任感
を感じさせる。新大関3場所を30勝15敗の
成績だが、大関を落ちるまでこれに近い実績
を残した。大関の負け越し率は、昭和以降
最高位大関のなかではトップである。

<琴風>

南海の黒ヒョウ若嶋津は大関昇進時若島津で
あった。大関5場所目に若嶋津になった。
若嶋津は新大関3場所目に13勝2敗の成績が
ある。このときは関脇北天佑との直接対戦に
負け、14勝1敗で北天佑に優勝を奪われて
いる。若嶋津の優勝は大関2年目であった。

<若嶋津>

大関昇進時の勢いが急速に失われた大関が
朝潮である。新大関3場所の成績が、その後
の成績を暗示していた。大関で最初に公傷が
認定された力士が朝潮である。今ならカド番
になるところがカド番にならないのだから、
大関にとっていい時代だった。北天佑にも
1場所公傷がある。小錦は9勝-12勝-8勝
と成績が安定しなかった。これがその後も
続き、初優勝は大関16場所目だった。

<朝潮>

千代の富士はわずか大関3場所で横綱昇進を
決めている。25歳から26歳の勢いがある時期
であった。1年間で関脇・大関・横綱優勝を
している。千代の富士だけの記録である。
時代は北の湖から千代の富士へと移っていっ
た。

<千代の富士>

2代目若乃花と同じ夜行列車に乗って入門
した力士が隆の里である。隆の里が大関に
昇進したころ、若乃花はすでに横綱であった。
隆の里は大分遅れて出世したわけである。
若乃花はすでに優勝する力は失われていた。
隆の里の新大関3場所はまずまずの成績を残
した。千代の富士に対抗するのはもっと後の
ことである。

<隆の里>

双羽黒は大関時代本名の北尾で取っていた。
新大関3場所はこちらもまずまずの成績だが、
翌場所14勝1敗の優勝同点でいきなり横綱に
昇進してしまった。いかにもつくり急いだ
感じは免れなかった。その後も優勝はなか
った。

<双羽黒>

旭富士は大関2場所目に優勝している。この
場所(昭和63年一月場所)は千秋楽に2敗
横綱千代の富士と対戦して勝ち、14勝1敗で
初優勝の栄冠に輝いている。双羽黒が優勝
なしで横綱になった批判の割をくったのが
旭富士であった。旭富士から2場所連続優勝
が事実上の絶対条件になってしまった。

<旭富士>

(この項目続く)

まだ先ですが、プロ野球が動き出しそうです。
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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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