大相撲

横綱の連続優勝なし場所数7

朝青龍が横綱に昇進したとき、横綱は武蔵丸
一人であった。武蔵丸は休場がちで5場所
一緒だったが、実質は朝青龍の一人横綱で
あった。朝青龍は白鵬が横綱に昇進する2007
年五月場所まで実質26場所一人横綱であった。
この間18場所優勝している。その後5回優勝
しているだけに、横綱の連続優勝なしはわず
か4場所と小幅であった。

<朝青龍24回目の優勝>

新記録男白鵬の横綱在位は現在77場所に及ん
でいる。白鵬が横綱になったときは22歳で
あった。現在35歳だから約13年間横綱を務め
てきたことになる。横綱優勝は41回である。
これまでの記録が大鵬と千代の富士の29回で
ある。白鵬の横綱の優勝率は53%である。
大鵬・千代の富士は50%である。白鵬の横綱
連続優勝なしは2016年七月場所から2017年
三月場所までの5場所連続である。このなか
に休場が2場所含まれている。

<白鵬37回目の優勝>

日馬富士は15日制で初めて連続全勝優勝して、
横綱に昇進した力士である。大関時代は22場
所であるが、半分が1ケタ勝利であり、在位
が長かった。それだけに突然変異のような
連続全勝優勝で横綱になったときは驚きを
隠せなかった。日馬富士は横綱在位31場所、
横綱優勝は5回だった。横綱8場所目から
始まった11場所連続優勝なしがある。

<日馬富士初優勝>

鶴竜が横綱になったのは28歳のときである。
1回の優勝を生かしての昇進だった。既に
横綱在位は現在36場所、6年に及んでいる。
横綱になってから鶴竜はなかなか優勝ができ
なかった。このとき8場所連続優勝なしが
ワースト記録である。当時は白鵬が第一人者
で、日馬富士も控えていた。どうも鶴竜は
第3横綱のような目でみられていた。

<鶴竜初優勝>

次の優勝までは6場所優勝がなかった。さら
にその次は7場所連続優勝なしであった。
2018年三月場所、五月場所で連続優勝を初め
て達成した。鶴竜は5回優勝できれば上出来
と、熱心な鶴竜ファンはかつて言っていた。
だが、優勝回数は6回まできた。あと1回と
願うのは欲であろうか。

稀勢の里は優勝の壁が破れなかった。優勝は
1場所先輩大関琴奨菊、後輩大関豪栄道の
後塵を拝した。30歳にして初優勝し、ワン
チャンスで横綱に昇進した。それからの稀勢
の里フィーバーは凄まじかった。稀勢の里の
いく所人が集まる熱狂ぶりであった。

<5万人集まったという稀勢の里の牛久パレード>

だが、稀勢の里は一転悲劇の横綱になって
しまった。新横綱の13日目、日馬富士戦で
致命的な負傷をおってしまった。その場所は
優勝決定戦で照ノ富士に奇跡の勝利で優勝
したが、これが最後の優勝になってしまった。
このあと引退する場所を含めて11場所連続
優勝なしを記録している。

(この項目終わり)

地震、台風、コロナが重なったら悲惨すぎます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。<
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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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