神風正一と聞いて相撲ファンは何をイメージ
するのか。上手投げを引きさげて活躍した
力士。番付に不満をもってあっさりやめて
しまった方。それよりも多くのファンに一番
なじみがあるのは、相撲放送の解説者では
ないだろうか。NKKの大相撲中継で一時代
を築いたのが、神風正一さんである。といっ
ても解説者であったのは、昭和62年三月場所
までであったから、それ以降のファンには
なじみがない存在かもしれない。
相撲解説者になるきっかけは、現役時代に
あった。昭和24年一月場所が東京の浜町仮設
国技館で開催された。このとき、NHKの
人気番組「街頭録音」が場所中の打ち出し後
に生中継された。テーマは「大相撲に望む
こと」で増位山(父)と神風が回答した。
そのときの神風の聞きやすい口調、頭の回転
の速さ、論旨の一貫性に感心した方が、番組
担当の藤倉アナと相撲担当の志村正順アナで
あった。これがきっかけで、解説者神風が
誕生することになった。
昭和27年はゲストとして登場した。正式に
契約したのは、昭和28年からである。1年
契約であった。ギャラは安かったと本人は
言っている。引き受けたものの自信はなかっ
たという。四国の出身であり、讃岐弁や関西
系のなまりが心配だった。指摘されたのは、
…ねが多かったことである。それから放送席
に「ね」の字を書いてぺけ印をつけたという。
最初はラジオであった。ラジオはテンポが
速く、スピードが要求された。力士が立ち
上がる瞬間は、実況するアナウンサーに素早
くマイクを渡さなければならなかった。テレ
ビは画面があるから、間が少々あいても大丈
夫だったと初期をふり返る。ただ、初期の
テレビはビデオがなかったという。
心がけたのは、いかに一般のファンにわかり
やすく伝えるかであった。また、いつ奇手が
とびだすのかわからないので、決まり手を
よく理解するようにした。また、相撲は15日
間あるので、同じ力士を違う内容で伝えない
ようにしても限界があったという。特に耳
障りにはならない、というアドバイスを受け
たという。
こうした苦労を経た神風さんの解説は明解で
あった。わかりやすい解説と滑らかな舌の
回転で聞きやすい声だった。大相撲を視聴者
に広く知らしめた功績者であった。名調子で、
打てば響くというのが、神風さんの解説だっ
た。技術論は天下一品であった。さしたら
腕(かいな)を返す、もろ手突きはいけない、
右でも左でも四つで取る力士をなまくら四つ
といって戒めた。
解説は大相撲中継を楽しくさせる。現代では
北の富士さんが好評であり、元稀勢の里の
荒磯親方が注目を集めている。さまざまな
個性的な解説者が登場したが、神風さんは
解説の原点であった。
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