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相撲の神様幡瀬川

三賞誕生(昭和22年秋場所)以前にも、当然
相撲のうまさ、技のきれに生きた力士はいた。
その力士は名人を超えて神様と呼ばれた。
相撲の神様である。その力士は幡瀬川である。
入門は楯山(元友響)部屋であったが、実質
の師匠は現役の清瀬川であった。昭和3年
から15年まで幕内に在位して活躍した力士で
ある。驚くべきは幡瀬川の体重である。75
キロ、増えても80キロ台だった。炎鵬より
はるかに小さいのである。
幡瀬川絵葉書
<幡瀬川のブロマイド>

幡瀬川はどんな相撲を取ったのか。突っ張っ
ていなしたところを右四つ。さらに出し投げ
からの小股すくいを得意とした。この小股
すくいがすごかった。対戦相手が何で負けた
かわからないほどの技のきれだった。ここが
名人ではなく神様たる所以である。また、
相手の欠点をよくついて、力を封じる相撲を
取った。
小坂秀二氏は双葉山に傾倒し、相撲を見る
基準を双葉山においた方であった。その小坂
氏が引退後ではあるが、幡瀬川の秘密に触れ
ることがあった。それは幡瀬川の足の裏で
あった。その柔らかさに驚愕した。まるで
赤ん坊のように柔らかかったという。力士の
足の裏はごつくて固いのが普通である。本人
は「特異体質なんだな」と笑っていたが、
ここに幡瀬川の軽量で関脇までいった相撲の
秘密があるのでは、と感じたという。
小股すくい

<秋田が生んだ相撲の神様幡瀬川那七郎伝 幡瀬川那七郎伝刊行会より>

幕内は34場所務めた。そのうち小結4場所、
関脇5場所在位した。巨体の大関男女ノ川を
ひっくり返すのだから技はさえ渡り、3連勝
したことがある。大関大ノ里に6勝3敗、
大関常陸岩・能代潟に3勝1敗と勝ち越して
いる。大関清水川に3勝4敗、大関武蔵山に
3勝7敗の成績を残している。ただ、横綱
にはついに勝てなかった。常ノ花に3敗、
武蔵山・男女ノ川に1敗。特に玉錦には大関
時代に5連敗、横綱時代5連敗とまったく
手がでなかった。
昭和13年夏場所、2勝11敗と大敗後負け越し
が続いた。昭和15年春場所3勝12敗を最後に
引退した。すでに照国が入門しており、相撲
の神様はこの逸材にすべてを注ぎ込んだので
あった。

片付けをすると思わぬ発見があります。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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