大相撲

相撲の神様幡瀬川

2019年10月19日

三賞誕生(昭和22年秋場所)以前にも、当然
相撲のうまさ、技のきれに生きた力士はいた。
その力士は名人を超えて神様と呼ばれた。
相撲の神様である。その力士は幡瀬川である。
入門は楯山(元友響)部屋であったが、実質
の師匠は現役の清瀬川であった。昭和3年
から15年まで幕内に在位して活躍した力士で
ある。驚くべきは幡瀬川の体重である。75
キロ、増えても80キロ台だった。炎鵬より
はるかに小さいのである。
幡瀬川絵葉書
<幡瀬川のブロマイド>

幡瀬川はどんな相撲を取ったのか。突っ張っ
ていなしたところを右四つ。さらに出し投げ
からの小股すくいを得意とした。この小股
すくいがすごかった。対戦相手が何で負けた
かわからないほどの技のきれだった。ここが
名人ではなく神様たる所以である。また、
相手の欠点をよくついて、力を封じる相撲を
取った。

小坂秀二氏は双葉山に傾倒し、相撲を見る
基準を双葉山においた方であった。その小坂
氏が引退後ではあるが、幡瀬川の秘密に触れ
ることがあった。それは幡瀬川の足の裏で
あった。その柔らかさに驚愕した。まるで
赤ん坊のように柔らかかったという。力士の
足の裏はごつくて固いのが普通である。本人
は「特異体質なんだな」と笑っていたが、
ここに幡瀬川の軽量で関脇までいった相撲の
秘密があるのでは、と感じたという。
小股すくい

<秋田が生んだ相撲の神様幡瀬川那七郎伝 幡瀬川那七郎伝刊行会より>

幕内は34場所務めた。そのうち小結4場所、
関脇5場所在位した。巨体の大関男女ノ川を
ひっくり返すのだから技はさえ渡り、3連勝
したことがある。大関大ノ里に6勝3敗、
大関常陸岩・能代潟に3勝1敗と勝ち越して
いる。大関清水川に3勝4敗、大関武蔵山に
3勝7敗の成績を残している。ただ、横綱
にはついに勝てなかった。常ノ花に3敗、
武蔵山・男女ノ川に1敗。特に玉錦には大関
時代に5連敗、横綱時代5連敗とまったく
手がでなかった。

昭和13年夏場所、2勝11敗と大敗後負け越し
が続いた。昭和15年春場所3勝12敗を最後に
引退した。すでに照国が入門しており、相撲
の神様はこの逸材にすべてを注ぎ込んだので
あった。

片付けをすると思わぬ発見があります。

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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