貴景勝が途中休場、全休で大関を2場所で
明け渡すことになった。言うまでもなく大関
2場所は最短である。大関不十分のイメージ
がある栃ノ心でさえ5場所だった。貴景勝の
心境はいかばかりであったろうか。
大関が2場所連続負け越しで降格の規定は
昭和2年の東西合併以降始まった。新大関
から2場所連続負け越して降格した大関が
いる。戦前の出羽海部屋の力士、五ッ嶋で
ある。新大関の場所5勝5敗5休。両膝の
故障であった。
翌場所7勝2敗までいきながら、6連敗して
負け越した。当時は降格場所で10勝以上なら
大関に復帰できるという規定はない。その後
五ッ嶋はどうなったか。翌場所関脇で全休
してそのまま引退(廃業)してしまったので
ある。29歳であった。
大関2場所の運命となったのは、武双山で
あった。新大関の場所腰椎椎間板障害で全休。
翌場所はフル出場したが、4勝11敗と大敗
した。平成12年のことである。武双山は降格
した関脇で10勝をあげ、大関に復帰した。
その後25場所大関を務めたが、ついに優勝は
なかった。
貴景勝は九月場所で10勝以上あげられるのか。
夏巡業は休場して九月場所に臨むことになる。
押し相撲は特に稽古十分で臨まないと好成績
は難しい。10勝あげられなかったときは大関
再チャレンジになる。魁傑の道を歩むことに
なる。ただ、貴景勝はまだ若い。最終的に
到達する点の高さを求める志で臨んだほうが
いいように思える。
食欲がおちています。
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よしなに
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