五月場所、松鳳山は横綱鶴竜に勝ちながら、
殊勲賞は鶴竜が優勝した場合というので、
最後まで待たされた。幸い結びの一番で鶴竜
が白鵬を寄り切り、14勝1敗で優勝を決めた
ので、松鳳山の殊勲賞受賞が決定した。松鳳
山は優勝鶴竜に勝った唯一の力士として価値
ある1勝をあげたわけである。
それでは、優勝力士を倒した関脇以下の力士
は誰か。改めて歴史の流れとともに調べて
みた。
新報社が幕内最高成績者の写真額を国技館に
掲げるシステムが始まった。優勝制度の前身
であるが、引き分け、預かり、相手力士が
休場すると自分も休場扱いになるなど、制度
的に未整備であった。このなかで歴史的一番
となったのは大正5年夏場所の横綱太刀山対
小結栃木山の一戦である。
太刀山が横綱になったのは明治44年夏場所で
ある。この場所で5年と1場所目であった。
先場所まで優勝相当の成績は10回を数えて
いた。なおかつ栃木山との対戦まで56連勝中
であった。ただし、この56連勝は間に全休が
3場所あり、厳密な連勝ではなかった。それ
でも負けない強豪としてのイメージは浸透
していた。
栃木山は入幕4場所目であった。8勝2敗-
5勝4敗1分-7勝3敗できた。これまで
太刀山とは大正4年夏場所初顔合わせで敗れ
ている。今回が2度目の顔合わせであった。
横綱太刀山対小結栃木山の一番は終盤8日目
(当時は10日制)に組まれた。立ち合い栃木
山が飛び込んで右差し。太刀山小手に振り、
右をあてがい割り出しにいく。栃木山この
攻撃をしのいで、左をいれてもろ差し。太刀
山強引に寄らんとするも栃木山右すくい投げ
で揺さぶり、渾身の力をふりしぼって寄り
立て、ついに寄り切った。
太刀山という偶像が破壊された瞬間であった。
国技館は狂乱の騒ぎであった。号外が出る
ほどであった。花道を引き上げる栃木山の
背中には100円札が2枚貼られていたという。
現在の価値に直すと100円は約10万2700円に
なる。ご祝儀は1万2000円になったという。
まさに値千金の殊勲であった。
ワールドカップは番狂わせが目立ちます。
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よしなに
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