五月場所後、栃ノ心が大関に昇進した。これ
事態はめでたいできごとである。巡業はない
から話題性もある。しかし、栃ノ心をめぐっ
てよくない未来図が描かれそうである。それ
は七月場所の番付にある。
高安のときもそうだったが、新人大関は大関
陣の最下位に位置された。栃ノ心もそうした
ことになりそうな流れである。つまり栃ノ心
はわずか3勝の豪栄道、全休の高安の風下に
立つことになる恐れがあるのだ。
占める。それがこんないいかげんなつくりを
今回も通しそうなのである。これでは、ラン
キングの本質からは逸脱している。栃ノ心を
東大関2と予想している専門誌や相撲通の方
も慣例に従った結果である。
最下位に位置するようになったのだろうか。
大関の代でいえば、それは栃東からである。
栃東以降高安まで13人の大関に適用された。
逆にいえば系統別総当たり制が定着した昭和
22年秋場所以降増位山父から魁皇までの56人
は、成績本位の番付編成である。人数も歴史
も成績本位がはるかに多く、長いのである。
あるまい。魁皇が大関に昇進したのが、平成
12年七月場所後。栃東が大関に昇進したのが
平成13年十一月場所後である。いずれにせよ
こんなことが続いていいわけがない。誰も
納得しない得体の知れない現実をさらけ出す
だけである。
早く目覚めます。
興味深いテーマをこれからもお届けします。
マーク2カ所をクリックして支援して
ください。
ください。
よしなに
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
↑↑↑↑↑↑↑↑