納谷の特別扱いは当然稽古にも及んだ。稽古
はスパルタである。これは初代若乃花と変わ
らない。ただし、スパルタはどの力士にも
あてはまるわけではない。ほめて長所を伸ば
すタイプもいる。納谷は素直に受け入れる
面と耐え忍ぶ心があった。四股、テッポウ
のノルマから始まり、二所ノ関伝統の荒稽
古。その稽古の激しさとぶつかり稽古は
のノルマから始まり、二所ノ関伝統の荒稽
古。その稽古の激しさとぶつかり稽古は
特別で、気が遠くなるほどであった。
<不死鳥大鵬>
ニ所ノ関(元大関佐賀ノ花)は納谷にお前は
他の力士とは違うという意識をうえつけて
いった。下の頃の納谷は二本ざしとすくい
投げを得意技にしていた。ニ所ノ関は稽古場、
本場所と納谷の相撲をチェックし、納谷中心
の生活であった。納谷が嘆いているとの声を
聞くと、ニ所ノ関は高級ステーキ店に連れて
行ったことがあった。
納谷が3年で十両に昇進したとき、二所ノ関
は珍しい響きの四股名を与えた。古典好きの
二所ノ関は翼を広げると3千里、ひと飛び
9万里飛ぶ伝説の巨大な鳥、大鵬の四股名を
考えていたのである。
大鵬が新入幕で初日から11連勝すると新しい
スターの登場に人気は爆発した。将来の横綱
予見させた。マスコミの攻勢から大鵬を守る
のが二所ノ関夫妻の務めになった。
また大鵬は相撲評論家から型がない、昔の
横綱は型があった、と批評された。だが、
ニ所ノ関は「大鵬は相手の相撲にあわせて
取る相撲、自然体が大鵬の型です」と反論
した。理論武装を二所ノ関がやり、大鵬を
ガードした。
新しい力、佐田の山、豊山が躍進すると「こ
こで負けたら時代が変わるぞ」と大鵬をたき
つけた。ニ所ノ関部屋は玉ノ海の代のときに
分家独立を奨励した。本家ニ所ノ関部屋が
花開いたのは、まさに大鵬の存在の大きさで
あった。
暑いと効率がおちます。
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よしなに
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