十一月場所新入幕を果たした一人に石浦が
いる。石浦将勝、鳥取県鳥取市出身、宮城野
いる。石浦将勝、鳥取県鳥取市出身、宮城野
(元竹葉山)部屋、170センチ、110キロ。相撲
は幼少期から取る相撲少年だった。名門鳥取
城北高校相撲部・日大相撲部出身の学生
相撲出の関取。といっても卒業後ブランクが
あってのプロ入門だった。なお、テレビで放送
は幼少期から取る相撲少年だった。名門鳥取
城北高校相撲部・日大相撲部出身の学生
相撲出の関取。といっても卒業後ブランクが
あってのプロ入門だった。なお、テレビで放送
されたが、父は鳥取城北高校相撲部の監督で
ある。
石浦の十両入りするまでの出世街道をみて
みよう。
みよう。
十両までは12場所、2年で上がっている。
これはスピード出世といっていい。5年から
6年かかるのが普通である。日馬富士18場
所、白鵬16場所、鶴竜24場所、隠岐の海24
場所、勢38場所である。小兵であるため、技
の相撲であり、立ち合いから足取りにいった
こともある。
しかし、石浦は十両に上がってから苦労が
続いた。
続いた。
入幕まで10場所かかった。隠岐の海は1度
幕下に陥落した場所を含めて6場所、勢は
2場所で入幕している。石浦の十両時代、
2ケタ勝利がない。そのかわり大負けもない。
成績は6勝から9勝で、負け越しは3回で
ある。
173センチ、86キロと石浦よりはるかに小さい
ながら、名人を超えて神様と呼ばれた力士が
いた。その力士は幡瀬川である。昭和初期
ながら、名人を超えて神様と呼ばれた力士が
いた。その力士は幡瀬川である。昭和初期
から戦前に活躍した力士である。武蔵山、男
女ノ川をはじめ大男が宙を舞う小股すくいは
さえ渡った。何が神様なのか。相手が小股
すくいで負けたことがわからないほどのさえ
なのである。
すくいで負けたことがわからないほどのさえ
なのである。
また、あっさり負けてはいけない。勝つのに
苦労させ、相手に厭なやつと思わせると次の
対戦では二分から三分トクがあると神様幡瀬
川は言う。小兵石浦の生きるヒントが、幡瀬
川にあるのではないだろうか。現代は、名人
はおろか技能派がいない。石浦には幡瀬川を
参考にした相撲を取って、さらに上位を目指し
ていただきたい。
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