大相撲

石浦の出世街道

2016年11月4日

十一月場所新入幕を果たした一人に石浦が
いる。石浦将勝、鳥取県鳥取市出身、宮城野
(元竹葉山)部屋、170センチ、110キロ。相撲
は幼少期から取る相撲少年だった。名門鳥取
城北高校相撲部・日大相撲部出身の学生
相撲出の関取。といっても卒業後ブランクが
あってのプロ入門だった。なお、テレビで放送
されたが、父は鳥取城北高校相撲部の監督で
ある。

石浦の十両入りするまでの出世街道をみて
みよう。
石浦1A
十両までは12場所、2年で上がっている。
これはスピード出世といっていい。5年から
6年かかるのが普通である。日馬富士18場
所、白鵬16場所、鶴竜24場所、隠岐の海24
場所、勢38場所である。小兵であるため、技
の相撲であり、立ち合いから足取りにいった
こともある。
131124千秋楽十両幕下以下 484
131124千秋楽十両幕下以下 492
<上下平成25年十一月場所 達(後の輝)の
攻めをしのいで勝利した幕下時代の石浦>

150112二日目幕下以下 593
<平成27年一月場所2日目 錦木と物言いのつく
一番で勝利した幕下時代の石浦(向こう側)>
 

しかし、石浦は十両に上がってから苦労が
続いた。
石浦2A
入幕まで10場所かかった。隠岐の海は1度
幕下に陥落した場所を含めて6場所、勢は
2場所で入幕している。石浦の十両時代、
2ケタ勝利がない。そのかわり大負けもない。
成績は6勝から9勝で、負け越しは3回で
ある。
150312五日目十両 151
<平成27年三月場所5日目 土佐豊に下手投げを
きめた新十両石浦>
160914四日目十両 423
<平成28年九月場所4日目 北はり磨から豪快に
勝利 した石浦>

173センチ、86キロと石浦よりはるかに小さい
ながら、名人を超えて神様と呼ばれた力士が
いた。その力士は幡瀬川である。昭和初期
から戦前に活躍した力士である。武蔵山、男
女ノ川をはじめ大男が宙を舞う小股すくいは
さえ渡った。何が神様なのか。相手が小股
すくいで負けたことがわからないほどのさえ
なのである。
神様 幡瀬川
<神様 幡瀬川のブロマイド>
 
また、あっさり負けてはいけない。勝つのに
苦労させ、相手に厭なやつと思わせると次の
対戦では二分から三分トクがあると神様幡瀬
川は言う。小兵石浦の生きるヒントが、幡瀬
川にあるのではないだろうか。現代は、名人
はおろか技能派がいない。石浦には幡瀬川を
参考にした相撲を取って、さらに上位を目指し
ていただきたい。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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