白鵬に関してはこれまで大鵬・千代の富士との比較で
年齢別優勝回数、横綱通算勝利数、幕内通算勝利数、
序ノ口以来の通算勝利数について書いてきた。白鵬には
もう1つ触れておきたい記録がある。それは横綱連続出場
記録である。なにしろ横綱は負けが込むと休場するイメー
ジがある。横綱の連続出場ほど困難なものはない。
それでは横綱の連続出場の記録の変遷はどのようになって
いったのか、横綱が実質地位化した常陸山以降の東京横綱
をみてみよう。常陸山、梅ヶ谷、太刀山という強豪も
横綱として4場所連続出場さえない。
初めて横綱4場所連続出場を超えたのは大錦である。
横綱6場所連続出場、横綱連続出場数60である。だが、
同時代の栃木山がすぐ抜いた。横綱10場所連続出場、
横綱連続出場数101である。ただし、大正時代は不戦勝・
不戦敗制度がなく、対戦相手が休むと、自分も「や」
扱いになる。栃木山の横綱連続出場数101のなかにこれが
2つあるが、これは栃木山のせいではなく、時代の限界
なので出場扱いとした。栃木山の記録はしばらくは誰も
超えられなかった。
栃木山の横綱連続出場数を超えたのは男女ノ川であった。
栃木山のときは1場所10日制だったのに対し、男女ノ川は
1場所の日数が13日から15日と増加したこともあり、
横綱連続出場数は104に達した。ただし、場所数は7場所
連続で栃木山に及ばなかった。だが、同時代の双葉山が
すぐ抜いた。横綱連続出場数121、横綱連続出場場所数は
8場所でこちらは男女ノ川を超えたが、栃木山の横綱
10場所連続出場には及ばなかった。
横綱連続出場場所数で栃木山に並んだのは羽黒山であった。
10場所連続で横綱連続出場数は116と双葉山にわずかに
及ばなかった。終戦の年、戦後の混乱期がなければ記録は
もう少し伸びた可能性はある。戦後場所数増加と15日制の
もう少し伸びた可能性はある。戦後場所数増加と15日制の
定着で数字は伸びた。千代の山が横綱連続出場数139に
伸ばした。横綱連続出場9場所でこちらは栃木山を超え
られなかった。
時代は栃若時代に入り、栃錦は師匠栃木山に並ぶ、横綱
10場所連続出場、横綱連続出場数は160に達した。初代
若乃花はその上をいった。横綱11場所連続出場、横綱連続
出場数は167と2つとも新記録を達成した。最年少横綱(当時)
となった大鵬は一挙に記録を更新した。横綱16場所連続
出場、横綱連続出場数は244と初めて200を超えた。
大鵬超えを果たしたのは最年少横綱となった北の湖だった。
横綱43場所連続出場、7年という驚異的な数字になった。
横綱連続出場数は初めて653と2位を大きく引き離した。
<北の湖>
白鵬は横綱になって1度も休場がない。横綱在位は47場所
である。ということは横綱47場所連続出場、横綱連続
出場数は705で北の湖を超えて記録を更新中である。白鵬は
ここでも超人であった。
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