大関時代が長いといわれた佐田の山は在位17場所、3年弱
の期間であった。ところがこのあと横綱になった北の富士
は大関在位21場所、玉の海(大関のときは玉乃島)20場所
と軽く超えてしまった。しかも長いだけでなくそろって
大関在位勝率6割台という低さであった。これは栃ノ海
以来年6場所制では2人目、3人目であった。なお、勝率
7割は1場所平均10.5勝である。救いは北の富士、玉の海
とも大関時代に休場がない点である。
7割は1場所平均10.5勝である。救いは北の富士、玉の海
とも大関時代に休場がない点である。
だが、すぐにこれを上回る力士が出現した。琴桜である。
大関在位32場所、大関勝率6割4分3厘5毛(1場所
平均9.65勝)年齢32歳で取り盛りを過ぎてからの横綱
昇進であった。
負けず劣らず驚異的なのが、三重ノ海である。大関在位
21場所だが、1度関脇に陥落している。関脇陥落時の
成績は含まれていないが、大関勝率は5割台で最下位で
ある。優勝はない。三重ノ海はある時期突然強くなった。
佐田の山と同じ大関在位17場所が旭富士である。しかし
大関勝率は7割6分7毛で佐田の山の7割2分7厘3毛を
超えている。佐田の山には大鵬という壁があったが、
旭富士には千代の富士、北勝海が立ちふさがった。
3代目若乃花は横綱になるとは思われていなかったが、
連続優勝したことによって横綱が実現した。大関在位
29場所と下から数えて3番目の長期在位である。特筆
すべきは公傷制度が手伝って大関在位の休場が60と
最多である点である。
すべきは公傷制度が手伝って大関在位の休場が60と
最多である点である。
琴桜の大関在位32場所と並んだのは武蔵丸である。大関
在位が長期に及んだが、休場は1度もない。横綱になった
年齢は28歳であった。大関在位中の優勝は5度である。
日馬富士は大関に昇進して8勝、9勝が目立ち、優勝
しても好成績が続かなかった。ところが突然変異的に
連続15戦全勝優勝し、横綱に昇進した。大関在位中の
勝率6割台は年6場所制になって5人目。鶴竜が6人目
である。
<左から日馬富士、鶴竜、白鵬>
ところで照ノ富士は何場所で横綱に昇進するだろうか。
それには大関照ノ富士がどの横綱の大関時代と類似して
いるかの視点が必要である。照ノ富士にとって立ちはだ
かる力士は横綱白鵬のみである。白鵬は全盛期ではないが
第一人者である。立場的に似ているのは玉錦が上にいた
双葉山、そして朝青龍が上いた白鵬である。
双葉山の場合は地力をつけ、覇者交代を実現した。双葉山
が全勝で初優勝後は玉錦が優勝することはなかった。直接
対戦も双葉山は玉錦に6連敗していたが、その後4連勝
してもう負けることはなかった。
白鵬は大関在位7場所中3回優勝、横綱朝青龍はこの間
4回、しかも4連覇である。白鵬の大関在位中は73勝17敗
15休、勝率8割1分1厘に対し、朝青龍は80勝13敗12休、
勝率8割6分で白鵬は大関在位中の成績は横綱朝青龍に
及ばない。しかし潮目はあった。それは白鵬の大関6場所
目で、白鵬と朝青龍が優勝決定戦になった2007年の三月
場所である。一瞬のはたきに朝青龍の指先が土について
白鵬2度目の優勝が決定した。その後、年間優勝回数は
白鵬が朝青龍を上回るようになった。
照ノ富士はどちらかというと双葉山より、白鵬の大関
時代により類似している。だとすると白鵬並みに大関
7場所あるいはそれに近い数字で横綱に昇進するとみたが
いかが。
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