白鵬が力士会で犬じゃないんだからほえるなという趣旨の
発言をした。対象である琴勇輝は戸惑を隠せないようで
ある。ほかにも発声する力士に千代鳳がいる。実はちば
てつや作のたり松太郎という漫画に、土俵の上で声を
だしちゃいけないの、という意味のセリフが出てきて
いたので長い間そういうものだと思い込んでいた。
ここで相撲規則を見直してみた。項目的には「力士」、
「力士(競技者)規定」を見てみたがそれらしい内容は
なかった。念のため勝負規定も見たがそれらしいことは
書かれていなかった。もっとも相撲規則に書いてあったら
とっくの昔に注意を受けていただろう。
しかし、勝ってもガッツポーズは慎むという教えがある。
勝っておごらず、負けてくさらずという精神からきている。
ルールにないとはいえ、これは力士つまり力のさむらい
のありようを端的に表わしている。ルールとは別に教え
のありようを端的に表わしている。ルールとは別に教え
としてとらえるべきものである。
土俵態度のりっぱさといえば双葉山を抜きに語れない。
双葉山の時代は仕切り直しのたびに力水をつけていた。
しかし、双葉山は最初の1回しかつけなかった。それは
入門して初土俵をふんだころ地方巡業で老人にこう教え
られたという。土俵は戦場であり、力士は軍人である。
戦場に向かうからには水さかずきをして門出をする
のだ、と。しかし、双葉山自身はこう語っている。
のだ、と。しかし、双葉山自身はこう語っている。
<双葉山のブロマイド>
「力水は末期の水だという意味は昔から伝えられている
ところです。しかし、末期の水という観念にとらわれる
のもつまらぬことだと思います。そんなことにこだわる
必要はすこしもないのです。力水をつけることによって
気分がととのえられ、それでよりよい相撲が取れるという
のであれば、二度でも三度でも水をつけたらいいのです。
わたしの場合は、右(筆者注:この場合上)のような
意味からでなく、いったん土俵にのぼったら、余分な
動作はすまいという動機から出たことです。土俵にのぼっ
た以上はもう勝負は始まっています。むだな動作をする
余地はないのです」(がちんこ相撲 小坂秀二著 いん
なあ とりっぷ社刊より)
すべては求道者双葉山の言葉に言いつくされている。