■部屋別総当たり
5場所前 4場所前 3場所前 2場所前 直前 合計
北の富士9勝6敗 10勝5敗 8勝7敗 10勝5敗 10勝5敗 47勝28敗
玉乃島 中位 9勝6敗 10勝5敗 9勝6敗 11勝4敗 39勝21敗
琴桜 8勝7敗 7勝8敗 10勝5敗 11勝4敗 11勝4敗 47勝28敗
清国 8勝7敗 7勝8敗 10勝5敗 9勝6敗 12勝3敗 46勝29敗
前乃山 8勝7敗 8勝7敗 9勝6敗 12勝3敗 13勝2敗 50勝25敗
大麒麟 8勝7敗 8勝7敗 9勝6敗 12勝3敗 12勝3敗 49勝26敗
注
玉乃島は5場所前は横綱柏戸としか当たっていないので
4場所の成績を記載した。
1966(昭和41)年七月場所、大関が豊山1人になった。
しかも豊山は下り坂で多くを期待できない状態だった。
そんな状況下で翌場所、北の富士が大関に昇進した。
さらに翌場所、玉乃島が大関になった。ともに無理筋で
つくられた大関という印象はぬぐえなかった。
前乃山が新大関で休場することになったとき、大麒麟は
「あの人幸運じゃないですか。これが大関昇進前なら
どうなりますか」と語った。大麒麟は過去何度も大関の
チャンスを逃しているだけに言えた言葉である。最後の
大関昇進チャンスをものにしたとき、大関への執念が
実った瞬間だった。
前乃山、大麒麟から少なくとも直前3場所31勝以下は
減少していった。