佐田の山から北の富士まで5年あいた。横綱がなかなか誕生しない
時期であった。佐田の山・柏戸は引退し、大鵬は晩年であった。北
の富士が横綱に昇進したときは勢いがあった。大関1場所横綱5場
所の昭和45年、75勝15敗の成績をあげた。
優勝は3回であった。

翌年の昭和46年、北の富士は73勝17敗の成績を残した。8勝7敗が
あるが、全勝優勝が2回あった。優勝は3回であった。北の富士は
以後休場がからみ年間72勝以上に無縁になった。最後の優勝は昭和
48年三月場所だった。
玉の海は大関まで玉乃島の四股名だった。大関時代12勝-12勝-13
勝優勝で横綱を見送られたことがあった。13勝優勝-10勝-13勝で
北の富士と同じ日に横綱昇進を決めた。昭和45年、75勝15敗をあげ
た。大関1場所、横綱5場所であった。玉の海は腰で取る相撲であ
った。安定したのは横綱4場所目からであった。
翌昭和46年は5場所で68勝7敗だった。納めの十一月場所を残して
いるだけで72勝以上は確実だった。だが、玉の海が福岡の地にたつ
ことはなかった。

玉の海は虫垂炎を患っていた。注射でちらしていたが、手術に踏み
切ることにした。虫垂炎の手術だから大事にはいたらないと誰しも
思った。だが、それから5日後の10月11日、様態は急変した。思い
がけず、右肺動脈幹に発生した血栓症が原因で横綱玉の海は帰らぬ
人となった。あまりにも悲し過ぎる出来事だった。
琴櫻は晩年32歳で横綱になった。短命で終わったこともあってつい
に年間72勝に届かなかった。