豊昇龍が明治神宮で土俵入りを初披露した。武蔵丸直伝である。よ
くこれを雲竜型、両手を伸ばしたまませり上がる型を不知火型と紹
介する。だが、実際は雲竜、不知火がどんな土俵入りをしたかは伝
わっていない。
そもそもこれはいつ誰が言い出したことなのか。実は昭和16年、相
撲評論家の彦山光三氏が羽黒山の土俵入りを不知火型と決め付けて
しまった。その根拠は不知火諾右衛門に両手を広げている錦絵があ
ることだった。ほかの型を雲竜型としてしまった。
しかし、不知火諾右衛門はせりあがったまま両手を開いているとは
限らない。大砲は左手を曲げてせりあがってから両手を広げている。
常陸山は2度拍手を打って両手を広げている。
彦山氏の決め付けが一人歩きしてしまった。これが大きな誤りの始
まりとなった。なお、伸ばした手は攻めを曲げた手は守りを表して
いる、と言ったのは元笠置山の秀ノ山である。人から聞かれてとっ
さにでた創作であった。
それではなんと呼ぶのが適切か。歴史的にはっきりしているのは、
右手は伸ばし、左手は脇においてせり上がる型は2代目梅ヶ谷から
である。両手を伸ばしたまませり上がる型は太刀山からである。梅
ヶ谷型、太刀山型がふさわしく、土俵の目撃者はこの見解をとって
いる。
日本史は常に見直されている。相撲史だけがそのままでいいはずが
ない。