片男波(元玉春日)部屋に移籍した旭蒼天は令和2年九月場所から
玉正鳳に改名した。師匠は以下に変わっていった。
高島(元高望山)→春日山(元春日富士)→春日山(元濱錦)→追
手風(大翔山)→中川(元旭里)→片男波(元玉春日)
四股名は4つ目になった。高春日→種子島→旭蒼天→玉正鳳
令和2年、玉正鳳は18勝17敗で切り抜けた。幕下6枚目まで番付を
上げたが、跳ね返された。幕下で白石(東白龍)に勝った。だが、
北の若・湘南乃海・錦富士・一山本・中園(島津海)に敗れた。
令和3年は24勝18敗と好成績をあげた。幕下8枚目まで戻した。北
の若に2勝した。18敗のうちの4敗は北の若・平戸海・狼雅・熱海
富士によるものである。
令和4年は23勝19敗と十両に迫った1年になった。一月場所は幕下
2枚目まで迫った。十一月場所は7戦全勝で幕下優勝したのが大き
かった。熱海富士・平戸海・湘南乃海・友風に敗北した。
令和5年一月場所は幕下東筆頭まで番付をあげた。2番相撲で友風
に勝ち、3勝3敗まできた。運命の7番相撲は千秋楽十両の照強戦
になった。入れ替え戦であった。勝負ははたき込みで玉正鳳が勝っ
てついに十両入りを決めた。ここまで67場所を要した。
31歳直前で十両の土俵に上がった。十両では幕内昇進への決め手に
欠けた。十両成績83勝82敗で幕内に上がれたのは幸運であった。長
い地道な努力がようやく実った。約32歳10カ月で幕内に到達した。
玉正鳳
モンゴル出身 片男波部屋 通算634連続出場中
189センチ 125キロ 右四つ寄り・投げ
(終わり)