MENU

玉正鳳の出世街道 3

元春日山部屋の残った9力士は追手風(元大翔山)部屋預かりとな
った。師匠代行という形で追手風部屋の中川(元旭里)親方が指導
していた。正式に中川部屋となったのは平成29年1月26日であった。
高春日(玉正鳳)は五月場所から種子島に四股名がかわった。しか
し、この四股名は3場所だけで終わり、十一月場所から旭蒼天に改
名している。

<、幕下時代>

平成29年は20勝22敗と負け越した。この年幕下で琴鎌谷(琴櫻)と
対戦し、敗れている。平成30年は23勝19敗の成績を残した。19敗の
うち3敗は錦富士・翠富士・豊昇龍によるものである。

平成31年・令和元年は24勝18敗と上昇気運が出てきた。湘南乃海と
対戦して負けている。令和2年はコロナウイルスの感染影響で無観
客開催、五月場所中止に追い込まれた。旭蒼天(玉正鳳)にとって
またも師匠交代劇がおきた。

七月場所(東京場所)を前にして不祥事が明るみになった。元旭里
の中川が弟子に対しパワハラがあったためである。稽古場で暴言を
発しての指導があった。弟子が発言を録音し、協会に提出したとい
うのだからただ事ではなかった。よほど耐えかねるモノだったこと
になる。

<中川親方>

協会は事情聴取をした。7月13日、臨時理事会で処分が決定した。
中川部屋は消滅。力士は行きたい部屋へ移籍となった。そのため、
弟子はバラバラに散る結果になった。旭蒼天は義兄玉鷲(玉鷲夫人
の弟が玉正鳳)がいる片男波(元玉春日)部屋に移籍した。

(この項目続く)

ブログランキング

当サイトはブログランキングに参加しております。記事をよんでいただいたら、以下バナーをクリックいただくと、ランキングに反映されます、1日1クリックよろしくおねがいします
にほんブログ村 格闘技ブログ 相撲・大相撲へ
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

目次