去る九月場所、優勝したのは関脇大の里である。しかし、千秋楽関
脇阿炎に敗れ13勝2敗で終わった。いわば有終の美を飾れなかった
わけである。終わりよければすべてよしとはいかなかった。
千秋楽に敗れれば有終の美を飾れないかというとそうも言えない。
今年(2024年)の七月場所、照ノ富士は千秋楽琴櫻に敗れた。だが、
優勝決定戦で隆の勝に勝って締めくくった。こうしたケースは有終
の美を飾ったものと解釈することにした。
大正15年、公式の優勝制度が始まった。それにともない不戦勝不戦
敗制度、取り直し制度が始まった。有終の美を飾れなかった第1号
は横綱常ノ花である。10勝1敗であった。千秋楽横綱宮城山に敗れ
ている。昭和2年3月場所のことであった。
有終の美を3回飾れなかった横綱がいる。まず、大鵬である。
昭和37年11月 13勝2敗 ●横綱柏戸
優勝は大鵬、柏鵬戦は柏戸といわれたが、実態は違った。昭和30年
代大鵬が優勝したときの柏戸戦は優勝決定戦を含み8勝3敗だった。
昭和40年11月 13勝2敗 ●横綱佐田の山
昭和42年5月 14勝1敗 ●横綱柏戸
2人目が横綱北の富士である。
昭和45年5月 14勝1敗 ●横綱大鵬
北の富士は横綱2場所目であった。全勝優勝をかけて大鵬と対戦し
た。大鵬は「先輩横綱は苦労して全勝優勝している。横綱2場所目
の奴に全勝優勝されてたまるか」と発言していた。相撲は北の富士
の上手投げ、大鵬のすくい投げの打ち合いになった。両者の体が土
俵に沈んでいき、わずかに北の富士が早く全勝を逃した。
昭和46年11月 13勝2敗 ●大関大麒麟
横綱玉の海亡き後の最初の場所である。
昭和48年3月 14勝1敗 ●横綱琴櫻
琴櫻は遅咲きの32歳の新横綱であった。北の富士はこれが最後の優
勝(10回目)であった。
(この項目続く)