昭和49年から昭和終焉まで
初優勝者でいえば北の湖から旭富士までである。こ
の範囲で新入幕から初優勝まで1ケタ場所目はいな
い。もっとも最短だった力士は怪童北の湖である。
13場所目だった。
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輪島、貴ノ花、魁傑の3人の阿佐ヶ谷勢で優勝をま
わし、両国へはいかない時代が来ると予想された。
実際は北の湖が台頭して、やがて輪湖対立の時代へ
と進んだ。横綱になった北の湖は最初輪島に勝てな
かった。だが、輪島より若い北の湖が優勝回数でや
がて逆転していった。
優勝31回の千代の富士の初優勝は新入幕から33場所
目であった。千代の富士は新入幕後十両に陥落して
いる。それだけではない。幕下落ちまでしている。
結局再入幕まで十両・幕下で13場所を要した。再入
幕後も十両に降格している。千代の富士は投げ中心
の相撲から前みつを取って出る相撲に変えて強くな
った。
昭和3大人気力士の一人貴ノ花は新入幕から39場所
目に初優勝した。優勝を争った力士は北の湖であっ
た。本割では負けた貴ノ花が優勝決定戦では浅くま
わしを取って引きつけ北の湖を寄り切った。大相撲
ファンにとって待ちに待った優勝であった。兄二子
山(元若乃花)から弟貴ノ花へ優勝旗が渡された。
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この時期、新入幕から初優勝まで最も場所数がかか
った力士が隆の里である。45場所目の初優勝であっ
た。青森から夜行列車で一緒に上京した2代目若乃
花に出世では出遅れた。遅れて来た男であった。一
時期ながら千代の富士に対抗した。なお、2代目若
乃花は22場所目の初優勝であった。
(この項目続く)