大相撲

石浦引退大相撲レポート

6月1日、石浦の引退相撲が行われた。しかし、そ
れは異例の中での実施となった。何が異例かという
と出身母体の宮城野部屋ではなく、伊勢ヶ濱部屋付
親方としての引退相撲であるからだ。そのいきさつ
はこれまで触れてきたのでここでは繰り返さない。

石浦の引退相撲は正式には石浦引退間垣襲名披露大
相撲という。石浦はなかなかエントランスの外に姿
を見せない。姿を現したのは9時45分過ぎであった。
夫人、3人の子も一緒だった。

<看板の目に立つ石浦>

入場は10時であった。長蛇の列がとぎれることなく
続いていた。入場すると、エントランス奥では伯桜
鵬、天照鵬、炎鵬が対応していた。鳥取の名産がエ
ントランスと通路で販売していた。

プログラムはそう目新しいものはないが、出演者が
これまでにないパターンだった、初切りに川添が出
演。甚句に伯桜鵬が登場。弓取りは炎鵬であった。
石浦最後の取組で二人の幼い息子と対戦した。懸賞
がついた。2人の息子がゲットした。ほかに幕下以
下力士対城北高校の対抗戦が行われた。

<はさみを入れる宮城野>

メインの断髪式は何人がはさみをいれるのか発表は
なかった。石浦は正面、東、向こう正面、西と向き
を変えていった。女性枠も設けられた。部屋の関取
全員がはさみを入れたが大変な数であった。育ての
師匠元竹葉山、元白鵬の宮城野がはさみをいれた。
止めばさみは元旭富士の伊勢ヶ濱であった。

<伊勢ヶ濱が止めばさみ>

事前に止めばさみが誰かは聞いていたが、もう一つ
工夫があってもよかったのでは。松鳳山の断髪式は
前師匠の元若嶋津と現師匠の元玉乃島が一緒の土俵
に上がった。石浦と伊勢ヶ濱は四方に例をして断髪
式は終了した。家族全員から花束が贈呈された。

最後に整髪した石浦が挨拶に立った。若々しい親方
の姿があった。幼い子供たちに自分がお相撲さんで
あることを伝えられた喜びを語った。引退大相撲は
こうしてぶじ終了した。

<整髪した石浦>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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