大相撲

■24春千秋楽 ケガの中出場の尊富士が初優勝

大阪府立体育館向こう正面二階通路にメディア関係
者が集結していた。何をしているのか聞いてみると
「取材」と答えた。推測すると前日足を負傷した尊
富士は休場か出場かの情報交換をしているのでは。
なお、大阪府立体育館は二階以上が会場である。

<尊富士>

情報通と話した。尊富士が無理に出場しても長い相
撲人生を考えれば休場したほうがいい。足の負傷だ
けに相撲は取れないのではと危惧した。その場合結
び前の3敗大の里と大関豊昇龍戦にすべてがかかる。
大の里が負ければ休場尊富士が優勝。休場優勝は輪
島・千代の富士以来となる。しかし、大の里が勝つ
と自動的に大の里の優勝が決定する。

現実は尊富士が出場してきた。幕内痔表入りに姿を
現した。相手はパワー相撲の豪ノ山だけに尊富士の
足のケガが気になった。実際の相撲は内容より気迫
だった。尊富士は気迫だけで豪ノ山を土俵外にほう
むった。

<尊富士と豪ノ山の立ち合い>
<気迫で豪ノ山に勝利した尊富士>

この瞬間館内は大歓声に覆われた。新しいヒーロー
の誕生である。新入幕優勝の達成の瞬間であった。
2大関、1関脇、1小結と対戦しての文句なしの優
勝である。大正15年公式の優勝制度以降初めての新
入幕優勝である。

なお、大正3年夏場所新入幕の両国が新入幕優勝と
思い込んでいる方がいる。これは時事新報社が幕内
最高成績者の写真額を国技館に掲揚する制度である。
対戦相手が休場すれば自分の星取りも「や」になっ
た。引き分け、預かりが多く、とても優勝を争える
状況ではなかった。公式の優勝制度とともに不戦勝
不戦敗制度・取り直し制度ができたのである。

結び前の大の里対豊昇龍戦は、優勝が決定したあと
の一番となった。豊昇龍が下手投げで一蹴した。す
べては幕内前半の尊富士でクライマックスを終えて
いた。大の里も最後までついていき、大関に代わっ
て場所を盛り上げた。

<豊昇龍の下手投げに大の里4敗>

考えてみれば尊富士も大の里もまだ大銀杏を結えな
い力士である。彼らが今場所を盛り上げたというこ
とは、大銀杏を結った大関の存在がかすむ結果にな
った。試行錯誤のなか大阪場所は千秋楽を迎えた。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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