昭和36年1月年寄の定年制が始まった。元元双葉山
の時津風から対象になった。その時津風理事長は思
いもよらず昭和43年12月に逝去した。巨星堕ちる。
56歳だった。
翌年元羽黒山の立浪理事が亡くなった。54歳だった。
羽黒山の2年後弱、元前田山の高砂理事が帰らぬ人
となった。57歳だった。横綱は短命が定着しつつあ
った。
安藝ノ海は引退後不知火、藤島を襲名したが、理事
も務めた。ちゃんこ安藝を経営していたが、キャバ
レーにまで手を広げた。そうすると出羽海(元常ノ
花)の怒りをかった。昭和30年1月で協会を離職し
た。常ノ花の娘とも離婚した。杉山桂四郎記者はよ
く安藝ノ海に話を聞きにいった。
照國 年寄荒磯→伊勢ヶ濱 58歳没
東富士は引退後錦戸を襲名した。だが襲名をめぐっ
て派閥間でもめたためあっさり協会を離れた。プロ
レスに転向したが、力道山の脇役にまわされ3年半
くらいで引退している。その後フジテレビの解説・
相撲評論家を務めた。最後は金融ローンをおこした
が、51歳で死去した。
千代の山から佐田の山まで10人連続横綱が年寄を全う
した。分類すると以下になる
●65歳未満
千代の山 年寄九重 51歳没
てっぽう柱がと言って亡くなった。
吉葉山 年寄吉葉山→宮城野 57歳没
柏戸 年寄鏡山 58歳没
栃錦 年寄春日野 64歳没
●65歳以上
大鵬 年寄大鵬 72歳没
一月場所中に亡くなったため国技館の外では号外が
配られた。
佐田の山 年寄出羽海→境川 79歳没
鏡里 年寄メイン立田川 80歳没
初代若乃花 年寄二子山→藤島 82歳没
22歳下の弟の貴ノ花ほうが先に亡くなっている。
栃ノ海 年寄中立→春日野→竹縄 82歳
栃ノ海の方初代若乃花より4カ月ほど長生きして
いる。
ここでは16人中14人が年寄として生涯または定年を
全うした。