現役の横綱年寄は横綱の代でいうと北勝海以降であ
る。北勝海から稀勢の里まで12人の横綱がいる。亡
くなられた方はいない。現在年寄でいる元横綱は7
人である。貴乃花が離職しなければ13人であった。
現在の横綱年寄率は58.3%である。
横綱が実質地位化した常陸山以降はどうか。ここで
いう年寄りは途中で離職した者は含まないものとす
る。また、対象は東京横綱とした。宮城山は東西合
併後出場しているので加えた。
昭和36年に年寄の定年が65歳となった。それ以前は
生涯であった。ただ、年寄の長生きは稀であった。
サラリーマンの定年が65歳(義務化)になるのは
45年後であった。
常陸山は年寄出羽ノ海(当時はこう表記した)、2
代目梅ヶ谷は年寄雷として生涯をまっとうとした。
共に部屋経営をしたが常陸山は48歳で、2代目梅ヶ
谷は49歳で亡くなった。出羽ノ海は約8年間の年寄
だった。
強豪太刀山は東関として検査役(現在の審判)に立
候補したが、落選した。10人の検査役からはずれ次
点であった。選挙の翌日失意の元太刀山の東関は、
離職を申し出た。弟子は3代高砂(元2代目朝潮)
に託されることになった。
鳳 年寄生涯 69歳
2代目西ノ海 年寄生涯(自殺)50歳
大錦は三河島事件の責任をとって引退した。引退後
は新聞記者になった。栃木山は引退後春日野として
独立し、弟子の育成に励んだ。出羽ノ海部屋は常陸
山のときは分家独立を許さずという不文律はなかっ
た。栃木山は常陸山の出羽ノ海から独立の許諾を得
ていた。67歳で亡くなっている。
ここまでの横綱は大正期に引退している。7人中5
人が年寄の任期をまっとうしている。横綱年寄率は
71.4%である。
(この綱目続く)