大相撲

横綱最後の1年

横綱はほかの競技にはみられない特徴がある。常勝
は当然で地位が落ちることはない。その代わり不成
績なら引退である。不成績には特に基準があるわけ
ではない。

横綱の引退というと休場が多くなり、勝てなくなっ
てきたときにおこるイメージがつきまとう。それも
場所の途中で発表される。横綱が実質地位化した常
陸山以降で場所の途中で引退したのは常ノ花が最初
である。横綱最後の1年はどうであったか検証して
みよう。

対象は年6場所に引退した千代の山以降とする。鏡
里、吉葉山は年5場所のとき引退しているので加え
なかった。また玉の海は急死であり、引退でないた
め対象からはずした。

<栃錦のブロマイド>

横綱最後の1年で2回優勝した横綱がいる。栃錦、
佐田の山、曙、朝青龍である。栃錦は14勝1敗で優
勝できなかった場所がある。佐田の山は連続優勝の
翌場所引退している。曙は師匠元高見山の東関と不
仲になっていた。朝青龍は事件をおこし、引退せざ
るをえない状況で体力の限界ではなかった。

横綱最後の1年の最多勝は朝青龍の71勝19敗である。
次が栃錦の67勝11敗である。さらに、曙の65勝10敗
15休、佐田の山の61勝20敗と続く。曙以外の3横綱
に共通することは休場がないことである。

<朝青龍>

ほかに横綱最後の1年で休場がなかった力士は柏戸
である。成績は49勝30敗であった。柏戸は次の横綱
が誕生しないため辞めるに辞められなかった事情が
あった。横綱最後の1年に9勝6敗が3場所あった。

休場は年3場所制のとき照國が30休場、年4場所制
のときに羽黒山が42休場、東富士が34休場と半分以
上が休場であった。年6場所制では栃ノ海が56休場
と半分を超えた。ケガのために力を発揮できずに28
歳で引退している。

ほかに半分以上休場した横綱が以下である。
隆の里 52休場
北勝海 64休場
貴乃花 61休場
3代目若乃花 52休場
武蔵丸 69休場
鶴竜  67休場
稀勢の里 55休場、
なお白鵬は42休場コロナ部屋ごと休場2場所である。

<武蔵丸>

武双山戦で致命傷をおった貴乃花、日馬富士戦で致
命傷をおった稀勢の里が最多休場ではなかった。彼
らを上回ったのは武蔵丸であった。だから横綱同士
の武蔵丸対朝青龍は実現しなかった。武蔵丸は横綱
最後の1年で5勝しかあげていない。

横綱最後の1年の平均成績は35.3勝16.3敗30.7休場
となった。ことし5場所休場の照ノ富士は冬巡業を
休場している。照ノ富士は横綱最後の1年でどんな
数字を残すのだろうか。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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