昭和43年一月場所、アメリカのハワイからやってき
た高見山が幕内に昇進した。高見山は長い間外国人
力士の代表であった。親方になるためには日本国籍
が必要。これは、対象が高見山しかいないときにで
きた。元栃錦の春日野理事長時代のことであった。
高見山は人気者だったが、関脇で終わった。外国出
身で初めて大関に昇進した力士が小錦であった。巨
体から繰り出すパワーは脅威であった。入幕2場所
目に勝ちこんで横綱・大関と対戦した。横綱戦2勝、
大関戦1勝1敗で黒船来襲と恐れられた。
小錦以降、最高位外国人大関は琴欧州、把瑠都、栃
ノ心、霧島、豊昇龍の6人である。小錦以降の日本
人最高位大関は16人である。外国人大関の占有率は
27%である。大関に関してはまだまだ日本人優位で
ある。
ところがこれが横綱となると話は違ってくる。初め
て横綱に昇進した外国出身力士は曙である。若貴と
同期だが、出世は先行した。筆者は横綱10大史に外
国人横綱誕生をあげている。
その後の外国出身力士横綱は武蔵丸、朝青龍、白鵬、
日馬富士、鶴竜と5人続いた。だから日本人横綱稀
勢の里が誕生したときは熱狂した。稀勢の里のいく
ところ常に人が集まった。ただ、稀勢の里は新横綱
で致命的なケガによって満足に土俵を務められなく
なった。
曙から照ノ富士まで横綱は10人。外国出身の横綱は
7人、日本人横綱は3人である。実に、70%が外国
出身横綱である。大相撲の変貌は続きそうである。