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なつかしく思える神風・玉の海の解説

九月場所は臨時国会が開かれず、大相撲中継に支
障はなかった。8日目の総合放送が16時にスター
トしたくらいである。幕内の解説はNHK専属の
舞の海が3回、芝田山(元大乃国)と鶴竜が2回
登場した。ほかの解説も協会関係の親方だった。
高齢の北の富士の解説は難しそうである。

最近なつかしく思えるのが明解神風、重厚玉の海の
解説である。神風はなめらかな舌の回転で聞きやす
い声だった。大相撲を視聴者に広く知らしめた功績
者であった。名調子で、打てば響くのが、神風の解
説だった。

<神風の記事>

さしたら腕(かいな)を返す。もろ手突きはいけな
い。右でも左でも四つで取る力士をなまくら四つと
いって戒めた。技術論はピカ一だった。

ユニークな表現もあった。横綱玉の海が安定した相
撲を取る一方で横綱北の富士が調子の波があった時
期のことである。「これでは北玉時代ではなく、玉
玉時代ではないか」と語った。

玉の海を解説者に推薦したのが神風であった。かつ
ての兄弟子、玉錦亡きあとは師匠でもあった。玉の
海が解説者として戻ってきたとき、戦後の部屋経営
にともに苦労した元双葉山の時津風が出迎えた。2
人は無言で右四つに組んだ。両者とも現役は右四つ
であった。無言の中で元双葉山が暖かく迎えてくれ
たことが伝わる友情の右四つであった。

玉の海の解説は土俵の心を大相撲ファンに伝えたこ
とである。土俵には、地位も名誉も人間の欲望を満
たすあらゆるものが埋まっているという教えがあっ
た。土俵はそういうものを求める場ではない。土俵
の中は赤土だけである。欲得に動くから相撲がおか
しな方向に走ると玉の海は言う。

<これが大相撲だ 潮文社刊>

玉の海は言う。
私には、なんらの形ある物は残らなかったし、数字
の上で目立ったものも何一つない。だが、私は、誰
よりも価値あるものを土俵から得たと思っている。
それは、事実を見つめ、真実から目をそむけないこ
と。相手の力を恐れ、作戦的に小細工を用い、その
場その場を小利口に泳いで生きたりはしないこと、
これこそが、私が土俵から得た人生観である。

といっても玉の海は堅い人ではなく、ユーモアもあ
った。「安念山はなかなか大関になれませんね」と
アナウンサーが尋ねると「これじゃ、安念山ではな
く、残念山ですなあ」と返したという。

もうあの時代には戻れないが、神風・玉の海の解説
が聞けたことはその後の人生を大きく変えた。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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