大相撲

本家から転身した立浪

七月場所後、豊昇龍の大関昇進が決定した。協会使
者として境川(元両国=前名小林山)と大鳴門(元
出島)が立浪部屋宿舎に向かった。使者は通常一門
の親方が選出される。豊昇龍が所属する立浪(元旭
豊)部屋は出羽海一門に所属しているのである。

<立浪(元旭豊)>

むろん立浪は出羽海の系統ではない。三保ケ関(元
増位山父)の系統でもない。その前は貴乃花一門だ
ったのである。しかし、貴乃花が突然協会を離職し
ため、貴乃花を指示した親方連は行き場を失った。
多くは元のニ所ノ関一門に戻ったが、立浪は出羽海
一門に加わることになった。

元来立浪は本家という立場であった。元緑嶋の立浪
は横綱双葉山・羽黒山、大関名寄岩をはじめ多くの
関取を育ててきた。時津風(元双葉山)部屋、春日
山(元名寄岩)部屋、中川(清恵波)部屋が分家独
立した。元双葉山の時津風は師匠の立浪と意見があ
わなくなってきていたので、独自路線をいくように
なった。

立浪部屋は娘婿の羽黒山に、さらに娘婿の安念山=
2代目羽黒山に引き継がれた。元安念山の下で元旭
國の大島部屋、元大翔山の追手風部屋が独立してい
る。さらに元旭國の大島部屋から元旭富士が元陸奥
嵐の安治川部屋を引き継ぐかたちで受け継いでいる。

<安念山のブロマイド>

元安念山の立浪部屋は直弟子ではなく、娘婿で大島
部屋出身の旭豊が継いだ。しかし、旭豊の引退大相
撲の売上金をめぐり、義父の元安念山とその娘(旭
豊の嫁)が不当に持ち去ったため不仲になった。つ
いには立浪の株をめぐり裁判沙汰にまでなった。裁
判は元旭豊が勝って現在にいたっている。

豊昇龍の大関昇進は出羽海一門の大関誕生でもあっ
た。

<豊昇龍>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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