大相撲

四股名の大元 琴

2023年8月21日

佐渡ヶ嶽部屋といえば頭に琴がつく四股名。これが
常識化して長い時間が過ぎ去ってきた。この四股名
の大元は佐渡ヶ嶽部屋創設者の初代琴錦である。初
代琴錦の故郷である香川県の観音寺にある琴弾八幡
宮に由来している。

<元初代琴錦の佐渡ヶ嶽>

昭和30年7月、元小結初代琴錦が7人の弟子を引き
連れ、元佐賀ノ花の二所ノ関部屋から独立しておこ
した部屋が佐渡ヶ嶽部屋である。ただ、本家二所ノ
関(元大関佐賀ノ花)が琴ヶ濱を手放さなかった。
当時の二所ノ関部屋の幕内力士は玉ノ海(後の玉乃
海)と大天竜しかいなく、看板力士の琴ヶ濱を失い
たくなかった。

琴ヶ濱が移籍できたのはなんと3年以上たった昭和
33年の十一月場所だった。琴ヶ濱はすでに大関にな
っていた。元初代琴錦の佐渡ヶ嶽が育てた幕内力士
は1横綱、1大関、1関脇などである。

琴ヶ濱
琴櫻
長谷川(本名)
琴乃富士

昭和49年七月場所前、横綱琴櫻が引退を声明した。
しかし、師匠佐渡ヶ嶽(元初代琴錦)との話し合い
が十分でなかった。引退を引っ込める、引っ込めな
いでもめる結果になった。

<元琴櫻の佐渡ヶ嶽>

琴櫻は白玉部屋を興す予定であった。ところがここ
で思いもよらないことがおこった。病気中であった
佐渡ヶ嶽が突然亡くなってしまった。急遽琴櫻は佐
渡ヶ嶽部屋を引き継ぐ展開になった。佐渡ヶ嶽(元
初代琴錦)がもう少し長生きして、琴櫻が独立して
いたら部屋の力士すべてに「琴」がつくことはなか
ったかもしれない。

元琴櫻の佐渡ヶ嶽は弟子育成に非常に熱心な方であ
った。テレビの解説者のときも自分の弟子の相撲に
は思わず力が入ってしまった。2大関、5関脇1小
結など多くの弟子を幕内力士に育てた。

琴ヶ嶽
琴風
琴若
琴千歳
琴ヶ梅
琴稲妻
琴富士
2代目琴錦
琴ノ若
琴椿
琴別府
琴龍
琴光喜(当時関脇)
琴欧洲(当時関脇でH17年11月場所後大関昇進)
琴奨菊(当時幕内)
琴春日

<元琴ノ若の佐渡ヶ嶽>

平成17年十一月場所中に元琴櫻の佐度ヶ嶽は定年を
迎えた。現役で娘婿の琴ノ若は合わせるように引退
し、佐度ヶ嶽部屋を引き継いだ。先代の意志を引き
継いで弟子集めには熱心である。今年の十一月場所
で部屋を引き継いで19年になる。先代から引き継い
だ弟子のうち2人を大関に育てた。

琴勇輝
琴恵光
琴ノ若 子
琴勝峰

佐度ヶ嶽部屋の繁栄は大関を出せるか否かにかかっ
ている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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