大相撲

令和横綱・大関4人以上のフル出場

最近はまず、横綱・大関が4人以上いないことが多
かった。きたる九月場所で1横綱3大関になるが果
たして全員フル出場なるのか、微妙なところである。
令和は横綱・大関の出場に関してどういう時代であ
ったか。

<トランプ大統領から表彰される朝乃山>

令和はトランプ大統領が観戦にいらした五月場所か
ら始まった。横綱は白鵬・鶴竜、大関は豪栄道・高
安・貴景勝であった。白鵬と貴景勝が休場している。
結局令和元年は横綱・大関のフル出場の場所はなか
った。

令和2年三月場所は、豪栄道の引退で横綱・大関は
3人となった。白鵬・鶴竜は晩年であり休場がちで
あった。朝乃山が大関に昇進して2横綱・2大関と
なったが、フル出場はなかった。正代が十一月場所
から大関となったが、すぐ休場してしまった。

<白鵬と照ノ富士の千秋楽全勝決戦>

令和3年三月場所横綱鶴竜引が退した。五月場所照
ノ富士が大関に復帰した。七月場所で白鵬と照ノ富
士が千秋楽全勝決戦となった。白鵬は九月場所後引
退。十一月場所は1横綱2大関になった。

令和4年三月場所御嶽海が大関になって4人以上の
横綱・大関で令和初のフル出場が実現した。五月場
所である。ただし、御嶽海と正代は負け越している。

<正代>

令和5年から横綱・大関は少数派となっていった。
それでいて出場もままならない場所が続いている。
令和は、横綱・大関4人以上全員フル出場は1場所
しかないという寂しい時代となった。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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