大相撲

今は昔 夏に鍛える

ひと昔前は夏巡業といえば東北、北海道の涼しい地
域を長期にまわって鍛えたものである。そのため、
七月場所の開始が今より1週間早かった。また、2
班に分け、稽古量を確保できる工夫があった。

だが、現代の夏は猛暑日が続く命にかかわる危険な
暑さが当たり前である。筆者も七月場所後は疲れも
あり、体調をくずしていた。夏巡業は鍛えるだけで
なく熱中症にかからない調節も必要になってきた。
水分補給や体に熱がこもらない調節が求められる。
クーラーがきく体育館でもそれは変わらない。

<稽古>

そもそも稽古というものは日々の鍛錬であり、積み
重ねなのである。だから本場所前の稽古だけをとら
えて判断するのは本来ならきわめておかしなことな
のである。それに夏の巡業は九月場所を目指した稽
古ではない。ニュース映像となると番付発表後の稽
古のようすが流される。これもいかにも直前の本場
所を目指した稽古のように映る原因になっている。

3年先の稽古をしろとはよく言われる言葉だが、稽
古は直前の場所を目指して効果がすぐ現われるもの
でない。それにしても猛暑のなかの稽古はやっかい
である。大鵬がときの5大関佐田の山、栃ノ海、栃
光、豊山(前名内田)、北葉山の相手に猛稽古して
1度も負けなかったことなども過去のことになって
しまうのだろうか。一番強い大鵬が一番稽古をした
のであった。

<大鵬>

現代の猛暑の夏ほど力士にとってやっかいなものは
ない。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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