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10大横綱に迫った力士1

横綱が実質地位化したのは常陸山以降である。10大
横綱の横綱時代に最も迫った力士は誰か。調査して
みることにした。

■常陸山

常陸山は横綱在位22場所である。そのうち全休・途
中休場が13場所もある。横綱時代同じ相手に負けた
力士は2人しかいない。鳳と太刀山である。鳳には
2敗している。

常陸山に最も迫った力士は太刀山である。太刀山が
平幕のとき、関脇のとき横綱常陸山が勝利した。だ
がそれ以降は勝てなくなった。太刀山の関脇時代に
1敗、大関時代に2敗している。常陸山の横綱時代
は太刀山に2勝3敗3分けである。通算でも3勝3
敗3分けである。

<太刀山のブロマイド>

■太刀山

太刀山は横綱時代3回しか負けていない。西ノ海、
栃木山、大錦である。実はどれも歴史的一番である。

明治42年夏場所、両国国技館の開設とともに太刀山
の連勝は始まった。新大関のときである。当時は10
日制で引き分け、預かりがあった。これは厳密には
連勝でないが、取り直し制度がないため時代の限界
であった。これをはさんだ白星を連勝とした。

こうして迎えた明治45年春場所、太刀山は通算43連
勝に到達した。8日目、対戦相手は 大関2代目西ノ
海である。太刀山は西ノ海に敗れ、連勝は43でスト
ップした。

<2代目西ノ海のブロマイド>>

大正5年夏場所8日目(当時は10日制)、横綱太刀
山が5年ぶり黒星を小結栃木山からきっした日であ
った。よく太刀山の56連勝がストップしたというが、
その中には太刀山の都合による全休が3場所もある
のだ。自己都合の休場は連勝をストップさせるもの
である。栃木山が勝った瞬間、満場は潮の如くわき
立って、喝采はやむことはなかった。

<太刀山対栃木山戦を描いた絵を表紙にしたパンフレット>

千秋楽全勝決戦は優勝制度のない時代にすでにあっ
た。大正6年春場所太刀山対大関大錦である。千秋
楽、9勝同士で対戦することになった。太刀山誘う
ように立つと大錦は受けない、とみせていきなり立
つともろざし。太刀山たちまち土俵に詰まり、かか
えてこらえた。大錦腰を落とし、ぐいぐい寄り立て
寄り切った。

<大錦のブロマイド>

観衆はあまりの光景に総立ち。蜜柑が投げ込まれた
り、大錦に飛びついたりと国技館はこれ以上ない大
騒ぎとなった。全勝対決を制した大錦は横綱に昇進
した。

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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