大相撲

大相撲素朴な疑問に回答

■霧馬山で慣れ親しんだのになぜ霧島に改名する必
要があったのか?

確かに大関になっての改名は違和感を感じる。霧馬
山は霧馬山でここまで成長したのだから、その四股
名を大事にしてほしかった。霧島は霧島のイメージ
があり、けして霧馬山とは重ならない。

<陸奥(元霧島)>

■年寄株に空きが出るのはいつか?

65歳定年で辞める者がいなければ、最も早い再雇用
退職者は峰崎(元三杉磯)で、2026年5月になる。
今から約3年後になる。次が湊川(元大徹)で2026
年10月である。現役で年寄株をもっている力士は、
遠藤の北陣、阿武咲の音羽山である。井筒は逆鉾の
遺族が持っているが、娘婿である志摩ノ海が襲名す
ることになる。ほかの現役力士にとっては長い時間
になる。

<峰崎(元三杉磯)>

■横綱大鵬が現役時代のとき、なぜ〇鵬という四股
名がなかったのか?

大鵬は、師匠のニ所ノ関(元佐賀ノ花)が中国の古
典から名づけた四股名である。中国の伝説の巨鳥で、
一度はばたけば9万里を飛ぶという。入幕後、大鵬
の人気はすさまじかった。四股名は、類型がないた
め鵬の字は使われることはなかった。現代は宮城野
(元白鵬)部屋を中心に花盛りである。

<大鵬>

■2代目霧島のように27歳で大関になった力士は何
人横綱になったのか?

27歳で大関にになった力士は、これまで琴櫻、魁傑、
旭富士、高安、5代目朝潮、4代目朝汐、清國、琴
奨菊、初代若乃花、栃錦、三重ノ海と11人いる。こ
のうち横綱になった力士は6人である。初代若乃花、
栃錦は時代を築き、琴櫻、旭富士、三重ノ海は短命
に終わっている。ちなみに師匠の霧島は31歳で大関
に昇進している。

<2代目霧島>

■五月場所の落合のように十両14勝1敗で優勝でき
なかった力士はいるのか?

落合が史上初である。二人の対戦成績は優勝決定戦
を含め、豪ノ山の3勝である。豪ノ山と落合改め伯
桜鵬の戦いは、舞台を幕内に移して続くことになる。

<十両優勝決定戦で落合に圧勝した豪ノ山>

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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