大相撲

5人の朝潮 上

高砂部屋には伝統ある四股名がある。朝潮(朝汐)
もそのひとつである。現役に朝志雄がいるが、これ
はあさしゆうと読む。

初代朝汐
新入幕 明治23年夏場所
引退  明治41年春場所
幕内在位36場所
最高位 大関
大関在位10場所

<初代朝汐のブロマイド>

大阪相撲から東京の高砂改正組に入門してきた。十
両番付外からスタートして、翌場所入幕した。順調
に出世したが、関脇では11場所と長期にいたった。
この間全休があった。大関昇進直前の場所は途中休
場している。休場に関してはゆるやかである。

初代大関朝汐は明治41年春場所限りで引退した。最
後は大関の座を降格し、平幕だった。独立して佐野
山部屋を創設した。大正9年に亡くなると、弟子は
2代目朝潮の3代高砂に託された。

2代目朝潮
新入幕 明治40年春場所
引退  大正8年夏場所
幕内在位26場所
最高位 大関
大関在位10場所

明治40年春場所、新入幕のときは朝嵐の四股名だっ
た。この名で7場所務めている。新関脇のとき、朝
汐に改名している。4場所この名で通し、以後15場
所は朝潮で通した。大関は10場所だが、フル出場は
わずか2場所しかなかった。全休が2場所、途中休
場が8場所ある。

<2代目朝潮のブロマイド>

2代目朝潮の重大事は別にあった。それは3代目高
砂の後継争いであった。それは2代目朝潮と綾川
(前名響矢)の間で行われた。大正3年夏場所の番
付では2代目朝潮は関脇で翌場所大関に昇進してい
る。綾川(前名響矢)は入幕2場所目であった。

なお、綾川は複数いて、江戸時代の綾川は陣幕によ
って横綱免許を受けた力士にされてしまった。また
昭和戦前にも綾川(前名綾櫻)がいる。

2代目朝潮と綾川(前名響矢)は共に現役で、二枚
鑑札の形での3代高砂の激しい後継争いであった。
最終的に3代高砂は2代朝潮に決定したが、二人は
袂を分かつことになった。

(この項目続く)

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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