北勝海は千代ノ富士の弟弟子で自己の限界以上の力を発揮した
横綱であった。惜しむらくは連続優勝と全勝優勝がなかった
ことである。横綱6場所目の千秋楽の不戦敗後3場所連続全休
して、46連続横綱休場している。優勝4回目のあとのことで
あった。これだけでは終わらなかった。最後の優勝8回目の
4場所後から23連続休場している。4場所連続休場して平成
4年五月場所前に引退した。まだ、28歳であった。
大乃国が千代の富士の連勝を止めたとき「おれだって横綱だ」
という言葉を発している。しかし、大乃国は横綱として弱い
横綱であった。横綱在位23場所だが、12勝以上は5場所9勝
以下は13場所だった。4場所連続全休があり、60連続横綱休場
となった。大鵬の57連続休場を更新している。師匠放駒(元
魁傑)が決断して引退となった。28歳の若さだった。
旭富士は遅れてきた横綱だった。双羽黒優勝なし横綱昇進だけ
でなく、その後も優勝なしだった反省から2場所連続優勝が
横綱昇進の絶対条件であった。旭富士は12勝-12勝-14勝-
13勝-13勝をあげながら横綱に昇進できなかった。引退直前に
不戦敗を含み25連続休場している。翌場所引退している。横綱
在位9場所だった。
曙は同期の貴乃花、若乃花に先んじて横綱に昇進した。曙の
突きは脅威であった。これで若貴も一気にもっていかれて
いる。7回目の優勝直後34連続休場している。さらに7場所後
28連続休場している。9回目の優勝後3年優勝できなかった
時期がある。そのとき3場所連続全休し、45連続休場して
いる。その3場所後27連続休場した。最後は師匠東関(元高見
山)とうまくいかないまま引退した。
貴乃花は下のころから注目され、期待に応えて出世した。
ただ、横綱昇進は苦労した。2場所連続優勝が絶対条件だった
時期であった。14勝優勝-11勝-15勝優勝でも横綱に昇進でき
なかった。「りっぱな成績だと思うがね」と師匠であり父親の
元貴ノ花はなげいていた。貴乃花は平成13年の14日目武双山戦
で致命的な負傷をした。千秋楽は鬼の形相で武蔵丸に優勝決定
戦で勝ったが、翌場所から休場した。全休は7場所におよび、
105横綱連続休場という最高数字を記録してしまった。
若乃花は横綱になったものの、ついに横綱優勝はなかった。
横綱在位11場所と短命で5場所休場がある(途中引退場所は
含んでいない)。そこで23連続及び30連続横綱休場がある。
横綱よりも大関時代のほうが、成績がよかった。
(この項目続く)