大相撲

大相撲 様々な記録

大相撲の最高記録は記憶に残り易い。優勝
回数、連勝記録。最近は玉鷲の連続出場が
ピックアップされている。ほかに横綱昇進
成績、大関昇進成績、歴代横綱などは記憶
されている方もいるだろう。ここではあまり
注目されない記録を取り上げてみよう。

★7連敗8連勝

昭和26年春場所、前頭2枚目の栃錦によって
成し遂げられた記録である。3横綱1大関
3関脇に敗れた7敗だったため、番付の正し
さを証明したような成績だった。惜しかった
のが昭和45年三月場所の大関清國だった。
初日高見山に負けたあと、7連勝7連敗した。
初日に勝っていれば、8連勝7連敗の記録に
なるところだった。清國は千秋楽優勝を決め
た大鵬に敗れて負け越した。

<栃錦のブロマイド>

★学生出身横綱誕生から49年経過

学生出身の横綱輪島が登場した場所が昭和
48年七月場所だった。それから約49年経過
した。学生出身の横綱が誕生しない限り、
この記録は伸び続ける。来年で半世紀になる。
学生出身が注目されるようになったのは豊山
(前名内田)の出現が大きい。入幕からわず
か7場所で大関に昇進した。輪島が横綱に
なったときは「ついにやったね」と喜んで
いた。しかし、輪島が最初で最後の学生出身
の横綱が続いている。なお、旭富士は近畿大
中退のため、学生出身とは区別されている。

<輪島>

★30歳以上の優勝

対象は戦後とさせていただいた。場所数が
少ない時代は30歳で横綱デビューを迎えた
常陸山、33歳で横綱になった太刀山がいる
ほどである。ともに引退は40歳だった。東西
制という取組も有利に働いている。現代では
考えられない。30歳以上の優勝は千代の富士
の19回が最高である。31回優勝の実に61%が
30歳以上である。35歳まで取ったことが大き
かった。この点白鵬は及ばなく、12回であった。
初代若乃花が8回、栃錦が6回と続いている。

<千代の富士>

★一方的な横綱戦

強くてうまい横綱栃錦、弱い横綱の代表吉葉
山。この両力士の横綱戦は吉葉山の6勝で
終わっている。つまり、横綱栃錦は横綱吉葉
山に1度も勝てなかったのである。大関以下
の栃錦は吉葉山に9勝8敗の成績を残して
いる。それが横綱になって一転してしまった
のである。横綱同士の対戦で一方的な成績に
双葉山対男女ノ川戦がある。双葉山の8勝で、
こちらは実力通りであった。

<吉葉山のブロマイド>

★イレブン横綱

北の富士が横綱時代4場所連続11勝4敗の
とき、イレブン横綱と揶揄された。しかし、
北の富士の横綱時代の11勝4敗はこの4場所
だけだった。北の富士以上のイレブン横綱が
いる。柏戸である。4場所連続、通算8度
11勝がある(11勝3敗1休含む)。通算8度
は2代目若乃花がのちに記録している。最高
は日馬富士の9度である。3場所連続11勝
4敗後引退した。

<日馬富士>

視点を変えれば様々な記録が浮かびあがる。
独自の記録はなかなか興味深い。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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