大相撲

白鵬10大記録3 連勝

連勝。それは選ばれし強豪にしかできない
途方もない偉業である。常陸山も栃木山も
羽黒山も北の湖も貴乃花も朝青龍も連勝には
無縁あるいは30台連勝だった。栃木山の時代
は対戦相手が休場すると自分の星取表にも
「や」がついたため、連勝は25で終わって
いる。羽黒山、貴乃花、朝青龍は、連続全勝
優勝はあるが、32連勝、30連勝、35連勝で
終わっている。1敗すれば終わり。まさに
連勝ほど難しい記録はない。

<2010年11月栃ノ心に勝って白鵬63連勝>

連勝の最高峰はご存知の通り双葉山の69連勝
である。双葉山以前はどうだったのか。大正
15年優勝制度ができる以前は不戦勝不戦敗
制度および取り直し制度がなく、引き分け、
預かり、無勝負などが当たり前だった。これ
らが連勝をストップさせると解釈するのは酷
である。時代の限界としてこれをはさんだ
連勝は認めていいのでは。

白鵬が63連勝を達成したとき江戸の強豪谷風
に並んだと書いたところがあった。だが谷風
は本当に63連勝したのだろうか。検証して
みたい。なお、安永6年冬場所の成績は次で
ある。黒星は苫ヶ嶋戦である。

○○○預○○●分

安永6年冬場所 5勝1敗1分1預
安永7年春場所 9勝1休
安永7年冬場所 全休(10休)
安永8年春場所 9勝1休
安永8年冬場所 9勝1分
安永9年春場所 6勝  雨天続きで6日間興行
安永9年冬場所 8勝2預
安永10年春場所 9勝1休
天明元年冬場所 9勝1休
天明2年春場所 6勝1敗3休

<谷風対小野川の錦絵>

1休は千秋楽出場しなかったケースである。
千秋楽は出場する場合とそうでない場合が
あった。天明2年春場所の星取は以下である。
黒星は小野川戦である。初日と4日目の「や」
だがほかの力士にも場所中「や」がこの場所
はみられる。

や○○○や○●○○や

どうも谷風の63連勝は安永7年春場所から
カウントした場合である。その翌場所は全休
しているのだからこれは自動的に連勝を止め
るものである。そうすると谷風の連勝は2預
をはさんで54連勝ということになる。

太刀山の56連勝といわれるケースも同様で
ある。全休を3場所もはさんでいる。

明治45年春場所 8勝1敗1分
明治45年夏場所 10勝
大正2年春場所 全休
大正2年夏場所 10勝
大正3年春場所 10勝
大正3年夏場所 8勝1預1相手休
大正4年春場所 全休
大正4年夏場所 10勝
大正5年春場所 全休
大正5年夏場所 9勝1敗

太刀山の連勝記録はそれ以前の4分1預1相
手休をはさんでの43連勝になる。

こうした記録を破ったのが双葉山であった。
双葉山の69連勝は足掛け4年をかけて達成
された。それだけに当時、双葉山は長期に
わたって負けなかったという実感が強かっ
た。

<双葉山のブロマイド>

双葉山の連勝記録に挑んだのが大鵬と千代の
富士と白鵬であった。大鵬は誤審という歴史
的汚点によって45連勝でストップした。行司
は大鵬の勝ちとした。控えの高鉄山も戸田の
足が出たと主張。ところが審判5人は戸田の
勝ちと判断したから騒ぎは大きくなった。
ビデオや写真は大鵬が勝っていたと報道。
連勝が誤審でストップされ、正しいうちわを
あげた行司が進退伺いを出すという矛盾に
ファンはついていけなかった。

千代の富士の連勝は黒い噂がつきまとって
いた。そのため千代の富士の連勝を止める
のはガチンコの大乃国しかいないとい思われ
た。そしてその通りの結果となった、千代の
富士の53連勝は同じ横綱の大乃国によって
ストップされた。

双葉山の69連勝を目指したのが白鵬だった。
25歳のとき一人横綱として4場所連続全勝。
その前の場所とあわせ62連勝。現代では双葉
山の記録に迫るのに1年かからない。迎えた
2010年十一月場所初日栃ノ心を退け、63連勝。
2日目の運命の対戦相手は稀勢の里だった。
その相撲は下手な解説より連続写真をご覧
いただきたい。

白鵬の63連勝はこうしてストップされた。
白鵬はのちに43連勝を記録したが、やはり
稀勢の里によってストップされている。双葉
山の69連勝にもっとも迫った力士が白鵬だっ
た。

労作でした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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