大相撲

2人の横綱を育てた名伯楽 下

元玉ノ海の二所ノ関のとき、分家独立が奨励
された。戦後、元大ノ海の芝田山のち花籠は
その方針のもとに独立した。栃錦とともに
時代を築いた若乃花をスパルタで名横綱に
育てた。横綱昇進は昭和33年一月場所後の
ことであった。若乃花の稽古はすさまじく、
目にした者はその後どんな稽古を見ても驚く
ことはなかった。

<花籠親方の王国談議の
記事>

花籠が2人目の横綱を育てたのはそれから
約15年4カ月後であった。2年連続学生横綱
の横綱輪島が誕生した。今でも唯一の学生
出身横綱である。輪島の相撲を神風氏は「羽
黒山の堅実さと強さ、安芸ノ海のうまさを
あわせた相撲」と評していた。花籠はさらに
魁傑を横綱にしたかったが、相撲が窮屈で
大成しなかった。

初代若乃花の二子山は青森から2人の少年を
夜行列車で連れてきた。この2人が後に横綱
になるのだからまさに偶然が生み出した歴史
的瞬間であった。一人が2代目若乃花である。
素質・素材はすばらしく、元安芸ノ海の永田
氏は北の富士級の横綱になれると予見した。
プライベートでは師匠の娘と結婚するも離婚。
期待とは裏腹に優勝4回で終わっている。

<元初代若乃花の二子山>

遅れて来た男がいた。もう一人、夜行列車で
上京した隆の里であった。おしん横綱と呼ば
れた。糖尿病を克服した苦労人であった。
隆の里が横綱になったとき、2代目若乃花は
すでに引退していた。隆の里は一時期千代の
富士の前に立ちふさがった。相星決戦は隆の
里の3勝1敗であった。最後に華々しい見せ
場をつくった。

北の富士は九重(元千代の山)から独立して
井筒部屋をおこした。分家独立を許さずと
いう出羽海(元武蔵川)部屋から破門独立
して苦労したから、九重は自分についてきて
くれた北の富士の独立を快く送り出した。
ところが約2年9ヵ月後、九重は51歳という
若さで急逝した。部屋は井筒と九重が一緒に
なるカタチで九重部屋としてスタートした。

<解説者北の富士>

元千代の山の弟子に千代の富士がいた。若い
ころは投げにこだわり,脱臼癖があった。
前褌を取って前に出る相撲に変わってから
急激に強くなった。小兵ながら筋肉質で53連
勝、31回の優勝と初の通算勝利1000勝超えを
達成した。通算勝利数記録はのちに魁皇に
そして白鵬に抜かれる。

元北の富士の九重が育てたもう一人の横綱が
北勝海である。激しい稽古で自己の限界以上
の力を発揮した。千代の富士より8歳年下で、
24場所横綱同時期であった。北勝海と千代の
富士で九重部屋10連覇を成し遂げている。
北勝海は8回優勝して28歳で引退した。千代の
富士引退のわずか1年後の場所前であった。

<貴ノ花>

初代若乃花の22歳年下の実弟貴ノ花は藤島
部屋として独立した。2人の息子若花田・
貴花田が入門したことによって空前の若貴
ブームがまきおこった。この2人が期待以上
に応えて、2人とも横綱に昇進したことは
記憶に新しい。惜しむらくは2人とも協会に
最後まで残ることなく、去っている点である。
また中野にあった藤島、のちの二子山部屋が
失われたことは実に痛恨であった。

2人の横綱を育てた名伯楽は8人いる。

オリンピック開会式は長すぎて全部見られま
せんでした。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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