大相撲

横綱フル出場なしの場所7

■平成10年代 6回のうちの2回目から

平成14年一月場所、横綱貴乃花は全休、横綱
武蔵丸は途中休場した。大関は魁皇、武双山、
千代大海と新大関の栃東の4人であった。
優勝は千代大海と栃東の間で争われた。千代
大海は関脇で初優勝してから18場所目であっ
た。3年経っていた。千秋楽を迎え、千代
大海1敗、栃東2敗であった。千秋楽は両
力士の直接対決となった。本割では栃東が
押し出しで勝って優勝決定戦にもつれこんだ。
両者再び激突した一番は栃東があたって左へ
動き、突き落としを決めた。本割、優勝決定
戦を制した栃東は、新大関の場所を初優勝で
飾った。

<栃東>

同年十一月場所、またも横綱貴乃花は全休、
横綱武蔵丸は途中休場した。大関は魁皇、
武双山、千代大海、栃東に朝青龍が加わっ
た。朝青龍は大関2場所目であった。優勝は
朝青龍の独走であった。そのまま14勝1敗で
初優勝してしまった。対抗する者も抵抗する
者もいなかった。朝青龍は、琴光喜が初優勝
したのを見て、自分もできると思ったという。

<朝青龍>

平成15年一月場所、横綱武蔵丸は全休。横綱
貴乃花はこの場所が最後の場所となった。
2勝したあと休場。不戦敗1休のあと再び
出場するという珍しいケースであった。だが
2勝したあと2連敗して引退した。平成13年
五月場所の武双山戦で負ったケガが致命傷と
なった。30歳であった。朝青龍はこの場所も
独走し、14勝1敗で連続優勝し、一気に横綱
に昇進した。連続優勝を決めた朝青龍が控え
で感慨にひたっていた姿が忘れられないシー
ンであった。

<貴乃花>

同年七月場所、横綱朝青龍・武蔵丸はそろっ
て途中休場した。武蔵丸は晩年で休場が目立
っていた。朝青龍対武蔵丸の横綱同士の一番
はついに実現しなかった。武蔵丸は2場所後
引退している。優勝は大関魁皇と大関千代
大海の間で争われた。ここまで魁皇・千代
大海とも3回優勝していた。3敗同士で千秋
楽ぶつかった。魁皇が勝って4回目の優勝を
成し遂げた。

<武蔵丸>

平成16年一月場所から朝青龍は一人横綱に
なった。迎えた平成18年五月場所、朝青龍は
途中休場した。この場所白鵬は新大関だった。
その白鵬と元大関で関脇の雅山で優勝が争わ
れた。また十両で、15戦全勝で新入幕を果た
した把瑠都が旋風をおこした場所でもあった。
白鵬と雅山は5日目対戦していた。攻め込ん
だ白鵬を雅山が土俵際突き落として勝って
いた。両力士は14勝1敗同士で優勝決定戦に
なった。離れての相撲のなかから白鵬が右四
つに組み止め、正面土俵に寄り切って初優勝
を達成した。白鵬はこれまでで一番うれし
かったと語っていた。

<白鵬>

(この項目続く)

緊急事態宣言の発令の遅れが大相撲をピンチ
にさせている。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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