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20歳以下の新入幕力士12

■朝青龍
平成13年一月場所20歳で新入幕を果した。
明徳義塾高校に留学し、相撲部で活躍した。
高校を中退して若松(元朝潮=前名長岡)
部屋に入門した。序ノ口から9場所で十両
入り。十両2場所で入幕というスピード出世
だった。大関の初陣は22歳直前であった。
大関2場所目、3場所目で連続優勝して横綱
に昇進した。大正15年、協会制定の優勝制度
以降、初優勝から連続優勝した力士は双葉山、
照國、千代ノ山、朝青龍、稀勢の里の5人
しかいない。横綱には22歳で昇進した。

<朝青龍>

朝青龍は一人横綱が長かった。番付上は3年
2場所 。 横綱に昇進したとき、武蔵丸が
いたが、6場所すべて休場していたため、
実質は4年2場所であった。つまり、結びの
一番で取ることが多かったので、退職金より、
懸賞金のプール金のほうが多かったという。
優勝回数は25回で4位であった。最後の優勝
直後、事件で自主引退せざるを得えなくなっ
た。まだ29歳であった。

■白鵬
白鵬はモンゴルから来日した若者6人のなか
の一人であった。ほかの者が相撲部屋から
スカウトされるなか、白鵬は小柄で声がかか
らなかった。帰国寸前先輩の旭鷲山が宮城野
(元竹葉山)親方に声をかけ、白鵬の入門が
決まった。最初は稽古をさせてもらえず、体
を大きくするところから始まった。

<白鵬>

白鵬はめきめき強くなり、平成16年五月場所
19歳で入幕した。新入幕で存在感を示した。
この場所千秋楽を迎えて1敗前頭筆頭北勝力、
2敗横綱朝青龍であった。千秋楽11勝3敗の
白鵬は北勝力と対戦することになった。この
一番、白鵬一瞬の変化に北勝力がばったり。
2敗で並んだ朝青龍が優勝決定戦で北勝力を
倒して逆転で7回目の優勝となった。12勝の
白鵬は敢闘賞を受賞した。

21歳のとき大関に昇進した。横綱はケガが
あって大関で7場所かかったが、22歳で昇進
した。7連覇、63連勝、44回優勝、年間86勝
など新記録男として君臨している。その白鵬
も35歳になった。白鵬を脅かす力士は果たし
て現われるのだろうか。

■安馬(日馬富士)
平成16年十一月場所、20歳で入幕した。軽量
だったので将来横綱にまで上り詰めるとは
思わなかった。スピードと集中力の真っ向
勝負でぐんぐん力をつけていった。殊勲賞
4回、敢闘賞1回、技能賞5回受賞した。
24歳で大関に昇進した。大関22場所を務めて
横綱に昇進した。15日制で2場所連続全勝
優勝しての横綱昇進は初めてのことだった。
(のち貴乃花が2人目の達成)28歳のときで
ある。白鵬が第一人者のなかで優勝9回は
よくやったといえる。最後は暴行事件の責任
をとって引退した。33歳であった。

<安馬>

■稀勢の里
序ノ口から2年で十両入り。十両3場所で
入幕した。平成16年十一月場所、18歳のとき
であった。三賞は殊勲賞5回、敢闘賞3回、
技能賞1回受賞している。大関昇進までは
時間を要した。25歳のときであった。それも
千秋楽の結果を待たず、10勝4敗時点で決ま
る異例ぶりだった。結果は10勝5敗に終わっ
ている。ここからがまた、長かった。見方に
よっては、横綱はないようにさえ見えた。
大関31場所かかってワンチャンスをモノに
して、たった1回の優勝で横綱になった。
30歳であった。だが、新横綱のケガで満足に
土俵を務められず、引退した。32歳であった。

<稀勢の里>

■栃煌山
明徳義塾相撲部出身である。序ノ口から1年
半で十両入り。十両3場所で入幕するスピー
ド出世である。平成19年三月場所、20歳で
入幕した。小結11場所、関脇14場所を務める
ほどの実力者であった。関脇以下最強の時期
が間違いなくあった。殊勲賞、敢闘賞、技能
賞を各2回受賞している。三役を離れて2年
半になる。ここ1年は幕内下位、十両と低迷
している。33歳、晩年にはいっている。

<栃煌山>

(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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