大相撲

歴史的瞬間!連勝ストップ7

■白鵬

白鵬が横綱になっての初陣は2007年七月場所
であった。このとき先輩横綱に朝青龍がいた。
すでに20回優勝していた。この後2年4場所、
白鵬と朝青龍を中心とする優勝争いが続いた。
白鵬が優ったカタチではあったが、朝青龍の
スピードと集中力はあなどりがたかった。
その朝青龍が事件で相撲界を引退せざるを得
なくなった。2010年一月場所後のことであっ
た。

<2010年1月 最後の白鵬-朝青龍戦>

白鵬の本格的連勝は一人横綱とともに始まっ
た。朝青龍最後の在位一月場所、白鵬の連勝
は13日目に大関魁皇に負けた翌日、琴欧洲戦
からスタートした。日馬富士、琴欧洲、魁皇、
琴光喜の4大関がいたが、白鵬とは実力差が
あり過ぎた。三月場所、白鵬は15戦全勝優勝
した。この場所、関脇把瑠都が14勝1敗で
大関昇進を決めた。

<2010年3月把瑠都との全勝対決を制す>

五月場所、白鵬はまたも15戦全勝優勝を成し
遂げた。5大関の最高成績は10勝5敗の把瑠
都であった。ほかの4大関は9勝6敗だった。
白鵬の独走であった。場所中、琴光喜の野球
賭博が発覚して事件になった。琴光喜は解雇
処分になった。七月場所、白鵬は3場所連続
全勝優勝を達成した。これは大鵬も千代の
富士もなしえなかった偉業である。連勝は
47連勝になった。もはや4大関では対抗でき
なかった。

九月場所、白鵬は全勝優勝を4場所連続に
のばした。連勝は62となった。双葉山の69連
勝が迫ってきていた。白鵬25歳のときであっ
た。迎えた十一月場所、70連勝の新記録と
なる8日目のチケットの売れ行きは早かった。
初日、白鵬は栃ノ心を退けて、連勝を63に
のばした。

<2010年11月 栃ノ心を倒して63連勝>

翌日2日目の前頭筆頭稀勢の里戦は歴史的
運命の日となった。これまで幕内での対稀勢
の里戦は20勝4敗であった。白鵬は大関時代
に3連敗したことがあるが、横綱になって
からは1敗しかしていない。目下11連勝中
だった。しかし、この日の稀勢の里は違った。
相撲は次のように展開した。YouTubeで
ご覧いただきたい。

白鵬は稀勢の里にてこずり、なかなかきめ
られなかった。無理な体勢で内賭けをかける
など、白鵬らしくなかった。稀勢の里は執拗
に攻め、最後白鵬は客席まで勢い余って飛び
込んでいった。こうして白鵬の連勝はストッ
プされた。「これが負けか」と白鵬が最後に
呟いた。

<2010年11月 稀勢の里に敗れて63連勝止でストップ>

(この項目終わり)

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denkouriki

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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