大相撲

正代の出世街道1

<一月場所 正代対徳勝龍>

一月場所の正代は13勝2敗の成績をあげなが
ら次点に終わった。ただ、対戦相手は2大関、
2関脇、2小結、北勝富士、御嶽海と強豪
相手に奮戦している。貴景勝だけを相手に
した徳勝龍は運がよかったのか。これを「運」
と言うことはできない。取組編成のミスで
あり、人為的操作であった。実質的には正代
のほうが上だったのである。さて、これまで
優勝争いをすることがなかった正代は、どん
な出世街道を歩んできたのか。スポットを
あててみよう。

正代は相撲道場に通う相撲少年であった。
水泳などでも少年時代から取組んでいると
覚えは早くなる。大会に出ればキャリアに
なる。中学、高校までは地元熊本で過ごして
いる。大学は東京農大で相撲を取った。その
縁から時津風部屋に入門した。時津風部屋は
豊山(前名内田)、豊山(前名長浜)、豊山
(前名小柳)が入門していた。しかし、大学
最後の1年で実績がなかったため、前相撲
からの出発となった。

<序ノ口優勝で表彰を受ける正代>

下位クラスではモノが違った。わずか8場所
で、しかも1度も負け越すことなく十両入り
を決めてしまった。序ノ口と幕下で優勝して
いる。成績は44勝12敗○32、勝率7割8分
6厘の堂々たる成績である。これは嘉風と
まったく同じ成績である。なお、炎鵬は5場
所で十両入りを決めているが、この後が炎鵬
と違った。

<幕下時代 御嶽海(左)と対戦>

快進撃は十両に昇進しても続いた。11勝4敗、
13勝2敗優勝で、2場所で突破した。今、
十両にいる有望力士琴ノ若、琴勝峰、豊昇龍
にもできない。白鵬、栃ノ心、豊ノ島などが
2場所で十両を突破している。だが、成績は
正代が上である。この十両時代に阿炎、御嶽
海、石浦、阿武咲などと対戦している。

<新十両>

ここまで順調に昇進してきた正代だが、幕内
に入るとある壁にぶつかることになった。

(この項目続く)

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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