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大相撲優勝・次点力士8 平成中期

平成中期の優勝・次点をみていこう。次点は
当然優勝者に次ぐ成績の力士だが、横綱・
大関と対戦のない力士及び部分対戦力士は
はずした。複数いるときは上位力士とした。
H中1A
貴乃花は平成10年の九月場所以来13場所優勝
から遠ざかっていた。休場5場所、1ケタ
勝利2場所あり、低迷していた。曙はもっと
長く、18場所も優勝がないままだった。若乃
花は平成11年一月場所の次点を最後に優勝・
次点から名前が消えてしまった。若乃花の
次点は7回までいった。
武
<武蔵丸>

じわじわと力をつけてきたのが武蔵丸である。
この時期連続優勝を決め、横綱に昇進した。
大関在位32場所と琴桜と並び横綱の最長大関
在位場所数であった。琴桜は32歳での横綱
昇進だったが、武蔵丸は28歳と年齢差の違い
があった。
平成12年十一月場所で優勝しながら、曙は
翌場所引退した。曙の意志は固かった。次点
は13回までいった。
貴 
<貴乃花>

貴乃花は平成13年の五月場所の14日目武双山
戦での膝のケガが致命的になった。千秋楽
本割はあっさり武蔵丸に負け、優勝決定戦に
もつれこんだ。貴乃花の劣勢は誰の目にも
明らかだった。だが、負傷をしながら必死の
鬼の形相で武蔵丸を上手投げで勝利し、感
動的な優勝を飾った。だが、それが最後の
優勝になった。貴乃花時代の事実上の終焉で
あった。貴乃花の次点は15回を記録した。
平成14年十一月場所から武蔵丸は休場が目立
ってきていた。6場所連続休場し、その翌
場所引退した。武蔵丸の次点は10回であった。
ハワイ勢、若貴という一時代は完全に幕を
閉じたのであった。
H中2A
新しい英雄は入幕9場所で大関に昇進し、
大関3場所で横綱に昇進した。若くてスピー
ドがあって、集中力がすごかった。朝青龍の
時代が始まった。4連覇、大鵬の6連覇を
抜く新記録の7連覇を成し遂げた。この時期
21場所中16場所が朝青龍の優勝であった。
06春 431
<朝青龍16回目の優勝>

そんな朝青龍を追いかけるように距離を縮め
てきたもう一人のすばらしい逸材が花を咲か
せた。柔軟性と素早い反応力の持ち主、それ
が白鵬であった。
H中3A
白鵬は入幕12場所で大関に昇進し、いきなり
初優勝を達成した。白鵬はこの優勝を「人生
で一番嬉しいできごとだった」と語っている。
大関2場所で横綱昇進か。と騒がれたが、
そうはいかなかった。
06夏千秋楽幕前半弱後 250天皇杯白鵬
<白鵬初優勝>

白鵬が朝青龍より優位に立ったのは、横綱に
昇進してからだった。お騒がせ横綱朝青龍は
夏巡業をケガで休みながら、母国モンゴルで
サッカーをしていたため、2場所出場停止に
なった。きっかけは朝青龍の自滅であった。
(この項目続く)

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この記事を書いた人

無類の相撲好き。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。お問い合わせなどあれば管理をお願いしてる masaguramさんまでX(Twitter)ください。

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