これまで京都入りしてから、貴ノ岩が稽古
する様子が稽古場の外から伝えられていた。
今日突如短いながらも貴乃花親方とともに
記者会見がおこなわれた。事件に関しては
貴乃花親方が制止し、語られることはなかっ
た。
気になったのは始動が遅かったこと。申し
合いがまだできていないこと。三月場所まで
はいかにも時間がなさすぎること。体重は
149キロだが、鍛えた体とはいえないこと。
人によっては休場もあり得るとの見方が出て
いる。普通に考えれば戦える状態にはほど
遠い。
<稽古充実時期の貴ノ岩>
だが、ここで休場して展望が開けるのか。
休場したら15敗の成績で、幕下陥落はまぬが
れない。かといって出場しても勝てる見通し
はたたない。それでも全休よりましだし、
相撲勘を取り戻すきっかけになるかもしれ
ない、という見方もある。
このあたりは貴ノ岩、貴乃花親方が最終的に
決断しなければならなくなる。
それにしても蒼国来は復帰の際は元の地位
だったのに、貴ノ岩はなぜそういかないの
だろうか。事情聴取で協力的でなかった以前
に救済措置はいっさいなかった。いまさら
どうにもできないのだろうが、何かスッキリ
しないモノを感じる。
幕下筆頭付け出しで復帰した先人に清水川が
いる。清水川は戦前の大関で、それも昭和・
平成の最強の大関である。清水川がなぜ復帰
するはめになったのか。いきさつはこうだ。
清水川は派手な私生活の乱れから本場所を
さぼった結果、協会から破門処分を受けた。
人を介して復帰をはかったがままならなかっ
た。
そんな清水川がなぜ復帰できたのか。それは
すさまじい犠牲の上で実現したのである。
父親が死をもって復帰を嘆願するという前代
未聞の事件がおきた。この異例のできごとに
協会がようやく復帰を認めた。清水川は昭和
3年10月、幕下筆頭付け出しで復帰した。
<清水川のブロマイド>
昭和・平成最強大関誕生の裏にはこうした
背景があったのである。貴ノ岩は幕下筆頭
付け出しで復帰し、大関にまで上がった先人
がいることを励みに、稽古に取り組んでいた
だきたい。
雨のち春の気候でした。
興味深いテーマをこれからもお届けます。
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