大相撲

本場所の土俵に復帰できるのか!貴ノ岩

2018年3月1日

これまで京都入りしてから、貴ノ岩が稽古
する様子が稽古場の外から伝えられていた。
今日突如短いながらも貴乃花親方とともに
記者会見がおこなわれた。事件に関しては
貴乃花親方が制止し、語られることはなかっ
た。

気になったのは始動が遅かったこと。申し
合いがまだできていないこと。三月場所まで
はいかにも時間がなさすぎること。体重は
149キロだが、鍛えた体とはいえないこと。
人によっては休場もあり得るとの見方が出て
いる。普通に考えれば戦える状態にはほど
遠い。
170503幕内 058
<稽古充実時期の貴ノ岩>

だが、ここで休場して展望が開けるのか。
休場したら15敗の成績で、幕下陥落はまぬが
れない。かといって出場しても勝てる見通し
はたたない。それでも全休よりましだし、
相撲勘を取り戻すきっかけになるかもしれ
ない、という見方もある。

このあたりは貴ノ岩、貴乃花親方が最終的に
決断しなければならなくなる。

それにしても蒼国来は復帰の際は元の地位
だったのに、貴ノ岩はなぜそういかないの
だろうか。事情聴取で協力的でなかった以前
に救済措置はいっさいなかった。いまさら
どうにもできないのだろうが、何かスッキリ
しないモノを感じる。

幕下筆頭付け出しで復帰した先人に清水川が
いる。清水川は戦前の大関で、それも昭和・
平成の最強の大関である。清水川がなぜ復帰
するはめになったのか。いきさつはこうだ。
清水川は派手な私生活の乱れから本場所を
さぼった結果、協会から破門処分を受けた。
人を介して復帰をはかったがままならなかっ
た。

そんな清水川がなぜ復帰できたのか。それは
すさまじい犠牲の上で実現したのである。
父親が死をもって復帰を嘆願するという前代
未聞の事件がおきた。この異例のできごとに
協会がようやく復帰を認めた。清水川は昭和
3年10月、幕下筆頭付け出しで復帰した。
清水川
<清水川のブロマイド>

昭和・平成最強大関誕生の裏にはこうした
背景があったのである。貴ノ岩は幕下筆頭
付け出しで復帰し、大関にまで上がった先人
がいることを励みに、稽古に取り組んでいた
だきたい。

雨のち春の気候でした。
興味深いテーマをこれからもお届けます。

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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